探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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ジャワ中部地震から1週間


この週末も家にこもって執筆三昧で、テレビのニュースを見る暇もない。
たまたまやっていた夕方のNHKのニュースで、ジャワ島地震被災地の現状を知ることができた。
当初の発表では震源地はジョグジャカルタの南西の沖合いだったが、その後訂正されて、ジャワ島の南南東の内陸部だったことがわかった。
家や職を失った人々は、救援物資も十分に与えられず、途方にくれている。
震源近くのある村では、行政区画の関係で、同じ村が2つに分かれていて、一方の村では救援物資が届くのに、他方では届かないという状態が続いている。


そのような村では、ほとんどの家が自分たちで建てたものだ。
1980年代頃からレンガ造りの家が多く造られるようになった。
木造の家に比べて費用が安く済み、自分たちでも比較的簡単に家を建てることができるからだ。
だが、そこにネックがあった。
地震に対して非常にもろいつくりになってしまうことだ。
レンガを接着する部分は強度が非常に弱く、レンガも手で簡単につぶせてしまうくらいにもろい。
耐震性など、まったく考慮されていないのだ。
ニュースでは、瓦礫と化した家の前で途方にくれている人々の姿が映し出される。
自分がいまジャワへ行って何かをしてあげられればいいのにと思う。

プランバナン寺院群

そのニュースでは、私が心配していたプランバナン寺院群の様子も報道されていた。
全壊は免れたものの、頂上部分や壁面の装飾が崩れ落ちたりして、復旧のめどはたっていない。
皮肉なことに、周辺の村では多くの家が全壊し、プランバナン寺院などのヒンドゥー教・仏教寺院遺跡の周囲でテント生活を余儀なくされている。
レンガ造りの家々よりも、千年以上も前に建てられた寺院遺跡の方が耐震性が優れていたことになる。
やはり何か耐震性を増すための秘密があるのかもしれない。


プランバナンはメインとなるヒンドゥー三大神のためのプランバナン寺院群だけでなく、周辺に多くの遺跡が残っている。
千年前とそれほど雰囲気が変わっていないのではないかと思われるのどかな田園地帯を歩くのが好きだった。
周辺の人々の多くは、世界文化遺産のプランバナンなどの遺跡を訪れる人びとによって成り立っている観光産業が支えとなっている。
だが、その観光地が復旧の目処が立っていない今、どうやって生活していくのかと人びとは不安を抱えている。
それ以前に、自分たちの家も崩壊してしまい、もちろん保険などないから、すべて自分たちで問題を解決していかなければならない。

助け合いの精神

インドネシアでは、ゴトン・ロヨン(gotong royong、相互扶助)という言葉がある。
助け合いの精神ということだ。
隣近所、親戚などで困っている人がいれば、経済的・物質的・精神的援助を惜しまない。
「サマサマ(みんな同じ、お互いさま)」の精神だ。
ちなみに、インドネシア語では「Terima kasih(ありがとう)」と言うと、この「サマサマ(sama-sama、お互いさま)」という言葉が返ってくる。
この「トゥリマカシ」という言葉も美しい言葉だと思うが、その本来の意味は「愛情(恩恵、あわれみ)を受ける」というものだ。


ジャワ人を含めたインドネシア人の間では、まだこのような助け合いの精神が残っている。
それだからこそ、貧しさや厳しい気候の中でもなんとか生きてこれたのだろう。
そのような美徳は、日本では特に都市部の人びとの間では、急激に忘れ去れていっているのではないかと思う。
欧米人たちがジャワ島を訪れて驚くのは、ジャワ人が非常に「フレンドリー」だということだ。
私もジャワ島で一人孤独な生活を送っていたときに、彼らのフレンドリーさと助け合いの精神に何度助けられたことか。
そのことを想うと、かの地が懐かしくなってくる。
日本ではインドネシアというと猫も杓子もバリ島へなびくみたいな感じだが、ジャワ島もバリのような派手さはないが、いいところなのだということは、あまり知られていない。
バリのように欲望でギラギラした人々に接することが少ないこともあるし、またバリ以上に洗練された文化が残っているというところも惹かれる要因だったりする。
個人的には特に、日本の京都や奈良に例えられる古都ジョグジャ(カルタ)やソロを歩くのが好きだ。


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