毎日のように0時すぎの帰宅で、ゆっくりブログを書いている暇がない。
だからメモ書き程度になってしまうが。
相変わらず、沖縄や宮古や本土の「ユタを紹介してください」というメールが後を絶たない。
紹介したけれど、あとは梨の礫(つぶて)ということが多いが、どうなったんだろうと気になることではある。
霊能者やユタの相談料が高いといっても、たとえば米国の超能力者のライフリーディングの料金に比べたら安いもんだと思えてしまう。
まわりの人たちが沖縄のルナさんの影響で「軸立て」をしたというのを聞くと、自分もやらなければいけないかなと思う。
昨日ダウジングをしたら「やるように」と出たので、後日、更に伺うことにする。
今年こそ宮古島へ行けるかなと思ったら、昨日の夜ダウジングをしたところでは、また東海地方へ戻ってしまった。
この夏休みに行くべき聖地のこと。
もっとも、この忙しさで、夏休みって本当に取れるのかという疑問があるが。
なぜか、最初に出たのは志摩の伊雑宮。
次が、伊勢神宮の外宮と内宮。
そして、以前に出た愛知県・伊良湖岬の伊良湖神社と、静岡県浜名郡の息神社。
息(おき)神社は8世紀の創建といわれる古社で、御祭神は志那都比古(シナツヒコ)神だという。
志那都比古神といえば、伊勢津彦(イセツヒコ)と同一だという説もある。
伊勢津彦は、またの名を出雲健子命(イヅモタケルノミコノミコト)といって、伊勢地方に天照大神より古くから祀られていた神だという。
その神が、天孫族に攻められて負けて、信濃へ逃れたという伝説がある。
なんだか、諏訪大社の建御名方(タケミナカタ)神が登場する国譲り神話みたいな話だ。
というか、国譲り説話はこの伝説を元にして創作されたものであり、実話ではないという説もある。
私は、伊勢津彦(出雲健子命)=建御名方神ではないかと思い始めている。
そして、更に伊勢津彦=志那都比古神だとすると、どうなるか?
今回は建御名方神のルーツを探る旅になってしまうではないか。
もしかしたら、東海地震・東南海地震のためのお祈りの目的もあるのかもしれないが。
【参考】