探求三昧 by 百瀬直也 - 地震前兆研究家が地震予知・地震予測・防災等を探求

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神が許さない罪−親不孝・不倫・自らこの世を去る

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いまの世界を眺めてみると、人間という生物だけが傍若無人にふるまって、「繁栄」とか「科学」の名のもとで自然を破壊して、また偏った想念波動によって地球のバランスを崩していて、その結果としてどんな禍がこの星に降りかかっても不思議ではないような気がする。そして個々の人間たちも、倫理観が欠如してきて、言ってみれば「何でもあり」の状態になってしまっている。
だが、私が十代の頃からスピリチュアルな世界を彷徨ってきた結果として自信を持って言えることは、「正直者が馬鹿を見る」ということは宇宙の法則には無いということだ。人を殺すような大きな犯罪から、犯罪にはならないようなことでも社会ルールに反することまで、そういう行為をした人間は、それなりの報いを受けるということ。
なぜそこまではっきりと言えるのかというと、個々の人間が行うことは、すべて「誰も見ていないから」と思ってやっていることでも、必ず「見られている」ことを知っているからだ。
いままでの人生で出会ってきた偉大な宗教家やシャーマンが言うことをまとめると、神が絶対に許さない人間の罪としては、以下の三つがある。

  • 親不孝
  • 自◯
  • 不倫

自分の半生を省みてみれば、「親不孝」は自分にも当てはまることだっただろう。だが今は反省している。いくら親と悪いカルマがあるとはいえ、親不孝をして良いという理由にはならない。親殺しをするような人間は、過去生で親からそれなりのことをされたのかもしれないが、もっと以前の過去生に遡ってみれば、自分が「加害者」だった恨みによるものかもしれない。やったらやり返すでは二人の間の憎しみに起因するカルマは永遠に消滅しないのであって、どちらかが「悟る」必要がある。
特に産みの苦しみに耐えてくれた母親に対しては、どんな理由があろうとも恨みの気持をもったりしてはいけないだろう。十代二十代なら許されるかもしれなくても、三十四十になってまで反省の念がないというのは最悪だ。
自ら選ぶことについては、この世に生を受けるということがスピリチュアルな次元ではどれだけ稀有なことか、また別の世界では、生まれて来たくてもそれが許されない魂たちがたくさんいることを考えてみれば、その神から与えられた肉体を自ら放棄してしまうということが、どれだけ重い罪かはわかるだろう。
自分についていえば、この世をさりたいと思ったことが一度だけある。インドネシアで働いていて、仕事があまりにも困難で行き詰まってしまったときだった。だが、当時のジャワ人の恋人の涙で、思いとどまった。
そして、最後は不倫だ。一昔前に『失楽園』が話題になったときには「不倫ブーム」で、多くの人々が不倫に憧れたり「実践」しただろう。だが、そういうものが流行ること自体、また不倫という行為が珍しくなくなってきたということは、それだけこの世界が「地獄」に近づいてきたということだろう。
若い頃は、不倫をするような男は生涯の友となり得ないと思っていて、そういう友達とは自然とはなれていった。たが、こういうのもひとつの「偏狭さ」だったかもしれない。人を許せないという点では。だが、上に書いたことを知ってからは、自分の態度は正しかったかもしれないとも思う。
世の中には逆縁で結ばれた仲とか、いろんな事情の夫婦がいるだろう。ほとんど「家庭内離婚」というか、夜の夫婦生活もなければ寝室も別だという夫婦だが、それでも別れないという夫婦が世の中には少なくないようだ。偽善的な関係だと思う。
どんな事情にせよ、不倫は許されることではない。不倫をしたくなるほど妻や夫のことが嫌ならば、別れれば良いのだ。
以前の友達にも、平気で奥さん以外の女性と寝る男がいた。そういう人間は、心の底から信じることができない。平気で人を騙す人であるからだ。
インドネシアで働いていた頃は、奥さんがいるのに平気で浮気をする男性がまわりに多かった。また、ジャワ島で働く日本人はといえば、「現地妻」をもっていると公言してはばからない男もいた。
結婚というのは、お互いが相手に対して生涯貞節を守るという契約だろう。それがイヤなら結婚なんてしなければいい。不倫をする人は、いつか逆の立場になって、愛する人から騙されることがどれだけ辛いことかを悟らされるだろう。その「いつか」が数年先か数十年先か、または来世になるかは人によって、条件によって異なるだろうが。それは「罪と罰」ではなくて「学習と習得」ではないかと思う。
不倫というものが当たり前となった世界は、神によって滅ぼされても仕方ないだろう。ひとむかし前のソウルメイトやニューエイジ関係の本で、不倫を肯定するような内容のものがあるが、とんでもないことだ。
人間というものは、特に男というものは、財産や地位を築くと決まって「色」に走る。そして色欲に溺れたことをきっかけに、没落していく。
『家系の科学―女性がキー・パーソンだった 家族愛を実らせる本』(与那嶺正勝著、徳間書店)というユニークな本があって、その本の著者もそのようなことを書いていた。家系を研究するような人は、そういう実例を嫌というほど目にするのだろう。この本については、いつかここで紹介したい。
霊的な次元でいうと、不倫というものが色情の因縁をつくり、子々孫々まで苦労するということを知れば、少しは不倫をする人が減るだろうか。
夫の海外出張のときに、悪い病気にならないようにとコンドームをスーツケースにしのばせる妻がいるという。そういうことをする妻の気持はわからないが、もしかしたら、もう夫婦の間の愛情というものがなく、ただお金を稼いできてくれれば良いとでも思っているのだろうか。そういう世間を見るにつれ、ため息しか出てこない。
不倫ということに関していえば、自分が一度も経験したことがないことを、一人の男として、いや『神さまの操り人形』として誇りに思う。人間誰でも「それをやってしまったら神さまに見放される」というのが直観レベルとしてあるだろう。不倫を平気でするような人は、そのような直観が退化してしまっているのかもしれない。

以上いろいろと書いてきたことは、あくまでも自分の宗教的というかスピリチュアルな信条にもとづくものであり、他の人に無理に信じてもらいたいとは思っていない。私はこう思っているんですよということを示したにすぎない。これを受け入れるかどうかは、これを読んでくれた人々が判断することだろう。
最後に一言書き添えておくと、神が許さない「罪」というのは決定論ではなく、各人が十分な反省をすれば、そして十分な償いをすれば、宇宙創造神は何らかの形で「復習」のチャンスを与えてくれるだろうと思う。



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