探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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【再掲】【松原照子氏】11/8ユダヤ人がシルクロードに求めたものは?~「日本人に申し訳ない」ウクライナのユダヤ人に伝わる日ユ兄弟伝説


再掲

このブログ記事は、7年前の2015/11/11に初掲載したものを加筆訂正して再掲するものです。

松原照子さん

今日も昨日に続いて松原照子さんの世見をネタにする。
だが災害関係から離れた話題だ。
2015年11月08日「ユダヤ人がシルクロードに求めたものは?」というもの。
タイトルを見ただけでわかる直球勝負だ。

ユダヤ人達の真の目的は一体何だったのでしょう。
商人としてだけとは思えない。
ユダヤ人達が求めたものは何だったのだろうか。
楽園? それとも地上の天国?
シルクロードを旅しながら辿り着いたのが日本だった。ユダヤ人もいたことでしょう。
(松原照子、ブログ「幸福への近道」、2015/11/08より)
www.xn--l8ji6b8dbd9a6a7e0hd.com


日本はシルクロードの「終着駅」ですからね。
ユダヤ人…正しくは古代イスラエルの民…。
自分が徹底的に調べた限りでは、居た可能性が高いのではないかと思います。

古代イスラエルの「失われた10支族」の末裔が。
当時のシルクロードは、ユダヤ人商人の生活の場だった。

また、聖書の昔から、古代イスラエルの民には「東方憧憬」つまり日が昇る東の方角への憧れがありました。

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アンパンマンのマーチと弘法大師の言葉(2)

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下記の前日の記事からの続き。
https://www.tankyu2.com/entry/20050415/anpan

この記事は、2005/04/16に投稿した記事を日付を変えて、加筆訂正して再掲したものです。

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顔を与える

もとの原作のマンガでは、アンパンマンは困った人や空腹の人がいると、自分の顔をちぎって「ぼくの顔を食べなよ」と差し出すそうだ。
このあたりは、キリスト教的であり、また仏教的でもある。
それにしても、自分の体の一部を人に与えてしまうという発想はすごい。
これ以上の慈悲による自己犠牲はないだろう。

当初のアンパンマンは、やなせ氏が既存の正義の味方像に対するアンチテーゼとして描いていたという。
それは、戦中・戦後の深刻な食糧事情の時代を生きたやなせ氏の体験から来たものだったらしい。
当時、空腹で「食べ物が向こうからやって来たらいいのに」と思っていたという。

 

本当の正義

やなせ氏は、こう書いている。
「ほんとうの正義というものは、けっしてかっこうのいいものではないし、そしてそのためにかならず自分も深く傷つくものです」

なるほど。
たしかに、時代は変わっても、型にはまった正義の味方像って、何十年も変わっていない。
それでも子供たちが飽きずに見るのは、そういうものへの憧れがいつの時代にもあるからだろう。

だが、再度書くと、正義の名のもとで人をあやめてはいけないだろう。
こういうものを見ることで、潜在的なさつじん願望や暴力願望を満たしていると思われても仕方がない。
キリストやブッダが子供たちの英雄になる時代って、いつか来るのだろうか。

 

自己犠牲

米国では、アンパンマンが放映されたことがあったらしい。
だが、その割には海外ではまったく話題にならない。

自分の顔を人に食べさせるという行為が、不潔だから子供に見せたくないという意見が多いようだ。
また、米国では自分を犠牲にして相手に幸せになってもらうという発想自体がないためだとも言われる。

そのあたりで、欧米の個人主義とアジアの世界観の根本的な違いがあるのだろうか。
そもそも、欧米で人々が信仰するキリスト教では、自己犠牲による愛を説いている。

だが、実際には欧米の人々の多くでは、人に自分の頭を与えるなどは「気持ち悪い」行為でしかないようだ。
当初、私はやなせ氏がキリスト教徒ではないかと思っていて、調べるとネット上で実際にそういう説があった。
だが、それは事実ではなかったようだ。

たとえキリスト教を信仰していなかったとしても、やなせ氏の考え方やアンパンマンには、どこかイエスの教えと共通する部分を感じてしまうのだ。


http://ja.wikipedia.org/wiki/ばいきんまん
(上記ページの検索窓から「ばいきんまん」で検索してみて)
http://homepage2.nifty.com/room30th/sermon/ampanman.html

「アンパンマンのマーチ」と弘法大師の言葉(1)

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この記事は、2005/04/15に投稿した記事を日付を変えて、加筆訂正して再掲したものです。

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勧善懲悪の世界観

小さい子たちがみんな好きな、アンパンマンについて。

うちの2歳9ヶ月の末娘(遥梛・はるな)も大好きで、つい昨日もアンパンマンの付録がついている『めばえ』を買ったら大喜びしていた。


アンパンマンを見ていて好感がもてるところは、正義の味方と悪役の境が曖昧だということ。
バイキンマンも、時にはアンパンマンたちと仲良くやってるし、子供たちも、きっとバイキンマンが大好きだろう。

勧善懲悪の世界というのは、ヘタすると、どこかウソくさいものになってしまう。
この世には、絶対的な善とか絶対的な悪なんてないんだということ。

アンパンマンなんて、どこがそんなにいいのかよくわからないが、かんたんに人間の命を奪ってしまうようなドラマや映画やマンガにはうんざりしているので、こういうマンガにはホッとする。
善の名のもとに人をあやめるなんて、もういいかげんにしてほしい。

 

『アンパンマンのマーチ』

ところで、アンパンマンの主題歌『アンパンマンのマーチ』のこと。
歌詞をそのまま書くと著作権法に抵触するので、要するにこういうことを言ってるんだということを言い換えて書くと…

何のためにこの世に生まれてきて
何をして生きるの?
そんなことも答えられないなんて
そんなのはイヤだ!
幸せってなに?
何をしたら嬉しいの?
それがわからないままで
人生を終わるなんてイヤだ!

 
なかなかいいこと言ってるじゃないかと思った。
「幸せ」イコール「欲望の充足」というのだったら、人生あまりにも悲しすぎる。
80年も100年も生きて、何のための人生と思ってしまう。

もちろん、作詞した原作者やなせたかしさんには、そういう意図はまったくないだろうが、スピリチュアルな読み解きをすると、そうなるという話。
歌の歌詞なんて、その人の思い入れによってどうにでも解釈できるし、芸術とはそういうものだろう。

 

空海の言葉

私がよく引用する弘法大師空海の名言で

生まれ 生まれ 生まれ 生まれて
生の始めに暗く
しに しに しに しんで
しの終わりに冥(くら)し
(「し」の漢字をひらがなにしている)

というのがあるけれど、アンパンマンマーチを聴いていると、なぜかこの空海の言葉を思い出すのだ。

生まれる前はどこから来て
何のために生まれてきて
しんだ後はどこへ行って
何のためにそれを繰り返すのか?

 
そんなことさえもわからないままに
一生を終わりたくはないですね、という話でした。

 

付記

…と、ここまで書いて終わるはずだったが…
いまネットで検索したら、アンパンマンの原作者のやなせたかしさんって、高知県出身だそうだ。
アンパンマンと空海なんて何気にタイトル付けてしまったけれど、弘法大師と同じ四国の人なんだ。
どこかで繋がっていたら面白いのだけど…。

もっと調べたら、あのよく知られた『手のひらを太陽に』も、やなせたかしさんの作詞だったんだって。
たしかに、どこか通じるところがあるな。両方ともマーチだし。
この2つの歌の歌詞、下記ページにあります。JASRACの承諾を得ているみたいで。
http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/tenohirawotaiyouni.html


以前から『手のひらを太陽に』を聴く度に「ぼくらはみんな生きているって、それがどうした?」と思ったものだった。
だが、そういう意味でいうと、アンパンマンのマーチの方が人の道を教えてくれる?
こうして歌詞を読むと、哲学的内容が込められているとも取れて、あんまり子供向けの歌ではないな。

1961年にテレビ朝日で放映された頃の主題歌のサブタイトルが「We are not alone」って、どこかで聞いたことあるな(『未知との遭遇』のキャッチコピー)。
このフレーズ、スティーブン・スピルバーグよりも先に使っていたんだ。
この記事、何気に書いてしまったけれど、けっこう深くなってきたな。
続きを書こうかな。

付記2

やなせ氏は、その後の 2013年10月13日に、心不全のために故人となった。
常に病気が「お友だち」であるかのような人生だったようだが、その割には94歳まで長生きされた。

(2)に続く。


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