探求三昧 by 百瀬直也 - 地震前兆研究家が地震予知・地震予測・防災等を探求

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雑草という草はない

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今いちばん輝いている日本のMLBメジャーリーグベイスボール)の選手の一人が、上原浩治投手(38)だ。
Yahooニュースで、レイズとの地区シリーズ第2戦でポストシーズン初セーブをあげたレッドソックスの上原投手のことを取り上げていた。


米スポーツ専門局のESPNは特に、上原選手の「雑草魂」を興味深く伝えている。

上原は高校時代は外野手、大学受験に失敗して道路工事の現場で警備員のアルバイトをしていた。大学に入って監督から『好きなポジションを選べ』と言われて始めたのがピッチャーで、それでも当時の目標は高校の体育教師だった。その男がいまやメジャー最高のクローザーだ。


レッドソックスでの、今年の活躍ぶりはすごかった。
このシーズンは、クローザーとして、4勝1敗21セーブ、防御率1.09という堂々たる成績を残した。
この人の経歴を見ると、まさに「雑草」だ。

昭和天皇のお言葉

この記事を読んで、「雑草という草はない」という言葉を思い出した。
有名な、昭和天皇のお言葉だ。
これは、長年昭和天皇侍従長を努められた入江相政氏編の『宮中侍従物語』という本に載っているエピソード。


昭和天皇那須御用邸でご静養中でお留守の間に、吹上御所の庭の草が茂りすぎていたため、刈り取ることになった。
帰ってこられて、雑草が刈られたことに気づかれた天皇が、侍従の入江相政氏に「どうして庭を刈ったのかね」とお尋ねになった。
入江氏は「雑草が生い茂ってまいりましたので、一部お刈りいたしました」と答えた。


これに対して昭和天皇は、こう諭された。

雑草ということはない。どんな植物でも、みな名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。人間の一方的な考え方でこれを雑草としてきめつけてしまうのはいけない。注意するように。


このように、実際は「雑草という草はない」ではなく、「雑草ということはない」とのお言葉だった。
まあ意味は同じだが。
生物学者であられ、植物の研究を続けられた昭和天皇の植物に対する愛情が、よく伝わってくる逸話だ。


植物の世界だけでなく、人間世界でも、雑草という草はない。
特別な人々を除いて、みな無名なまま生きて、人生を終える。
だが、それは個々人の霊的成長のために設定された人生であり、その途上では「たまたま」起きることなど何もない。


…ということなど、普通は知らずに生きて、死んで行く。
でも、知っているかどうかは、あまり重要ではない。
重要なのは、与えられ、設定された「カリキュラム」をどれだけこなしていくか。

雑草のような人間もいない

雑草のような人間など、いない。
皆それぞれ、輝いている。
何かで名声を得たり、金持ちになったりといったことは、その人の霊的成長において、あまり意味はない。
そんなものは、いくら得ても「あの世」へは持っては行けない。


沖縄には、「ウチカビ」(打ち紙)というものがある。
これは、あの世で使うための紙でできたお金で、仏壇に供えたりする。
中国の「紙銭」が伝わったものだろうが、本当はそんなもの、なくても良いのだ。
お金などなくても、霊界では生きていける。


たしかに、死後も霊界で、現実世界とあまり変わらない生活を送っている霊たちがいる。
だが、それは言ってみれば想念の世界で自分たちのイメージが作り出した出来事であり、じつは「幻想」なのだ。


「地獄の沙汰も金次第」というが、
本当にそう思って死んでいった人は、そういう「世界」を自分で創ってしまうかもしれない。
だから、死に際というのは、本当に大切なのだ。
お金のことを考えて死んでいけば、「お金がすべて」の世界へ行くかもしれない。
神さまのことを考えて死んでいけば、神さまのもとへ行けるかもしれない。


…ということを悟れば、もっと高みへ昇っていけるだろうが、そう言葉で書くほど容易ではない。
簡単だったら、みんな神さま仏様になっている。
かんたんではないから、またこの世に生まれ変わってきて、新たな修行が始まる。


何を書こうとしていたんだっけな。^^;
そうだ、「雑草という草はない」だ。
なので、みんな背伸びしないで生きていきましょう、ということ。
この世に生まれてくる人たちは、自分も含めて、「悟ってない」からこそ生まれてくる。
「私はあの人より偉い」とか言っても、じつはそう変わりはない。


ささやかな人生だけど、少しでも善行を積んで、
タイ人たちの言葉を借りれば「タムブン(徳を積むこと)」をして、
自分のためでなく他の人が利することを行い、
…といったことを積み重ねて行けば、
生まれ変わりを繰り返して、何千年何万年あとには、もう生まれて来なくても良いほどに霊的成長ができているかもしれない。


みんな創造主が創り出された魂として、この世に生まれてきて、
いつかは創造主の元に還っていく。
そういう意味では、みんな輝いた魂であり、
「雑草のような人間などいない」のだ。


昭和天皇は、植物もみな生きる権利をもっているという意味のことを言われたが、
人もみな生きる権利があり、
どんな人間も、他者の生きる権利を奪ってはならない。
聖者たちが言われるには、すべての人には神が宿っているのであって、
その尊い命が失われるような戦争など、もっての他なのだ。
殺しても良い雑草のような人間など、いないのだから。




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