この記事では、海を守護する女神・弟橘媛(オトタチバナヒメ)さまについて書く。
また、東日本大震災で多くの命を救った「現代のオトタチバナヒメ」の女性のことも紹介する。
今日、津波のことをGoogleで検索していたら、自分のブログ記事を見つけた。
日付を見ると、ちょうど東日本大震災が発生した1年ほど前の2010/02/28。
この記事によろと、2011/02/14に房総半島へ聖地巡礼して、津波鎮静の祈りをしていたんだ。
チリ地震津波で日本でも被害が出た2週間前だった。
だが、あれは1年後に起きた東日本大震災のための巡礼でもあったのか。
東日本大震災の後で、真っ先に大洗の弟橘比賣神社に聖地巡礼する指示が出たのも、そのためだったのか。
- チリ地震の津波と房総半島聖地巡礼
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20100228/tsunami
海の女神
弟橘媛さまは海の守護神として信仰が厚い。
きっと津波の被害からも人々を護ってくださる女神さまなのだ。
そう考えると、いろんな謎が解けてくる。
自分がこの女神さまとご縁ができたことも。
諏訪大明神さまは、地震などの自然災害も司る神さまであるように思う。
長野県諏訪に住んでいた百瀬家先祖代々の氏神さまでもある。
そして、オトタチバナヒメさまは、津波の被害を?
宮古島や沖縄のシャーマンから、「あんたは水の神様とご縁があるね」と言われたことがある。
たしかに、そういう系ばかりだ。
オトタチバナヒメさまとのご縁
弟橘媛さまとご縁ができたのは、2005年10月のことだった。
茨城県大洗町の、弟橘比賣神社(天妃神社)を巡礼した。
そこで現れたのが、赤い磯ガニの「神遣い」だった。
3度目に訪れたときには、瀕死のトンボが突然出現した。
あれはもしかしたら、数年後に大津波で多くの人々が犠牲になるということを示していたのだろうか。
うちでは、インドネシア・ジャワ島の女神、カンジェン・ラトゥ・キドゥル(ニャイ・ロロ・キドゥル)さまもお祀りしている。
この女神さまもやはり、海を守護されている。
私は、今まで色々な「ヴィジョン」を見てきた。
見させられてきたと言うべきか。
2005年7月から、2006年4月まで、千葉県から福島県の海沿いを聖地巡礼させられてきた。
それが終わった直後の2006年4月12日の朝に、津波のヴィジョンを見たのだった。
東日本大震災が発生する5年前に。
詳細は、こちらの記事で書いている。↓
- 東日本沿岸の聖地巡礼と大震災
http://d.hatena.ne.jp/nmomose/20110410/daishinsai
本人はそんな大災害が訪れるとは知らないまま、各地の海沿いを巡礼して祈らされていたわけだ。
東海村や福島第一・第二原子力発電所の近くの神社仏閣でも祈った。
2010年末に、それまで派遣されていた現場との契約が終わった。
昨年1月には、自分のWebサイトを編集したり、YouTubeビデオを編集していたりした。
聖地巡礼先を伺うことも、ずっとしなかった。
日本を揺るがす大きな大震災が訪れるとは思ってもいなかった。
自分の任務を怠ったという罪の報いを、いま受けているのだろうか。
深く反省し、自分の本務を怠っては何もうまくいかないということを思い知らされている。
現代のオトタチバナヒメ
今日、「津波 弟橘」でググっていて、あるブログ記事を見つけた。
「南三陸町弟橘媛伝説」というタイトルがついている。
2011年3月11日の東日本大震災で、津波が宮城県南三陸町を襲った時のこと。
町の防災放送を担当していた若い女性が、津波が襲来した後も人々を助けるために放送を続けた。
そして、津波の犠牲になった。
これは現代の弟橘媛さまだと。
その女性とは、遠藤未希(えんどうみき)さんという方だ。
当時、24歳だった。
役場の危機管理課に所属し、防災放送のアナウンスを担当していた。
防災対策庁舎の2階で放送を続け、津波に呑まれた。
その時、3階建て庁舎の屋上のアンテナにしがみついて助かった職員もいた。
だが、そこには未希さんの姿はなかったという。
YouTubeの動画を見ると、津波が襲来して数メートル浸水した後も、未希さんの声が響いていた。
美希さんは、最後まで放送を続けていたのだ。
4月23日に、未希さんの身体が捜索隊によって志津川湾で発見された。
前年7月に結婚した夫がプレゼントしたミサンガが左足首に巻かれていたという。
警察がDNA鑑定で未希さんと断定した。
未希さんの声に助けられた人々
南三陸町では、約1万人の人々が避難して助かったという。
未希さんのアナウンスに助けられた人が多いだろう。
防災放送を聞かなかったら逃げていなかったという人もいた。
アナウンスが「切羽詰まった声だから」と、避難したという女性もいる。
母親の美恵子さん(53)は避難所で、隣の地区の女性が「あの声が忘れられない。あの声に助けられた」と話しているのを聞いた。
「それは私の娘です」
「6メートルの津波がきます」と、美希さんはアナウンスしていた。
2階でアナウンスを続けていては自分も助からないだろうと、わかっていたはずだ。
だが、アナウンスをやめなかった。
文字通り、命がけでやっていたのだ。
同僚によると、責任感が強い女性だったという。
2010年7月に結婚し、その年9月に披露宴を挙げる予定だったとか。
こういう人は、おそらく霊界であまり苦しまず、悟ることができると思う。
そして、尊い自己犠牲を実践した人間として、霊界で高いところまで成長できるだろう。
たしかに、現代のオトタチバナヒメだ。
海神の怒りを買った夫の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を助けるために、自ら海に身を投げた。
私も、この女神さまや未希さんのように、自分も自己犠牲の行いができるようにならないといけないのだ。
YouTube動画
遠藤未希さんのことを紹介したテレビ映像を貼りつけておく。
この番組が放映された当時は、未希さんはまだ行方不明の状態だった。
◎町を救った南三陸町の防災無線遠藤未希さん
こちらの番組では、すでに津波が家を押し流している最中に、未希さんのアナウンスが流れている映像から始まっている。
- 「6メートルの津波が来ます」 最後まで放送の南三陸町職員を悼む
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110503/dst11050300110000-n1.htm