探求三昧 by 百瀬直也 - 地震前兆研究家が地震予知・地震予測・防災等を探求

地震前兆研究家、ノンフィクションライターの百瀬直也が地震予知・予測・予言等を探求するブログ

- 真理を得たいから、分かち合いたいから、はてない探求@はてなブログ -

HOME ABOUT LIST WEB VIDEO TWITTER FACEBOOK EMAIL PROFILE 

スポンサード リンク

男と女の出逢い〜偶然と必然

スポンサード リンク

今日は、男と女の出逢いと、偶然・必然ということについて考えてみたい。
別に男女のことに限らなくても良いかもしれないが、今日はそこに重点を当てて書いてみることにする。
最近コメントしてくれている女性(以降「pさん」とする)にインスパイアされて、この記事を書くことにした。


11/06に書いた「恐れと愛」という記事で、その人からコメントで質問された。


その質問では、男女の出会いには、本人の努力でどうにもならない宿命というものもが大きいような気もするとあった。
私がこれまで40年以上にわたって霊性の世界を探求してきて、自らの体験も含めて言えるのは、こういうことだ。

男女の宿命と運命

人間には、たしかに本人の意志でもどうにもならない宿命というものがある。
だが、男女の出逢いについていえば、その多くでは流動的な要素を残した「運命的」なもののようだ。


たとえば、Aという男性がいて、人生のある時点まで生きて、かなりの霊的成長を遂げたとする。
本来Aさんは、Bという女性と伴侶として結びつくよう定められていたが、霊的成長の度合いが予想以上に進んだために、指導している存在の意志により、Cという女性と結びつくように変更された。
…というようなことが、起こり得るのではないか。

細川護熙夫妻の例

前述のコメントをつけてくれたpさんが、総理大臣を務めたことがある細川護熙(ほそかわもりひろ)さんのエピソードを紹介してくれた。
細川護熙氏と今の奥様は、大学時代同じサークルの先輩・後輩だった。
細川氏は、学生時代に二度ほど、現在の奥様にアプローチしたが、断られた。
それから音信不通の日々が続いたが、20代の頃にローマで偶然再会した。
そこで奥様は宿命的なものを感じて、結婚を決意されたという。
護熙氏は選挙に落選して傷心の旅で、現在の奥様は仕事の買い付けでローマに行った。


ちょっと考えてみればわかるだろうが、このようなことは、決して偶然で起きることではない。
もしこういうことが偶然で起きるとするならば、私は偶然などというものを信じない。
スピリチュアル的観点からすれば、これはどう見ても「必然」なのだ。
ただ、「見えない世界」のことをまったく理解できない(orしようとしない)人々にとっては、説明原理がまったくないので信ずることができないだけなのだ。
では、二人をローマで出会わせたものは何だったのか?
それは、二人を指導する霊的存在が、二人を互いに伴侶として結びつけるべく、用意周到に計画して実行した結果なのだ。
人はみな、常に自分の意志で行動していると思い込んでいる。
だが、実際は見えない存在に動かされている時も多いのだ。
普通の人々の場合、元気な時よりも、自我が弱ったり体が弱ったりしているときの方が、「コントロール」しやすいだろう。
これが、たとえば瞑想など霊的修行に励んで自我からの解放が進んでいる人の場合は、もっと動かしやすいだろうと思う。

旧友との予期せぬ出会い

男女の出会いではないが、たとえば私も以前に、旧友との予期せぬ出会いで、面白い経験があった。
ちょっと本題からはずれずが、自分のwebサイトで書いているので、興味があったら読んでみてください。


このエピソードのように、人間というのは、自我の活動が弱くなっているときに、見えない存在にコントロールされやすくなるのではないかと思う。
そして、これ以上にないという絶妙なタイミングを測って、出逢いをお膳立てしてくれる。
このように、私自身が特別にコントロールされやすい状態にあったからこそ、上記の旧友との出逢いが起きたのだろう。
学生時代に、彼とあまりにも仲が良く、常に一緒にいたので、まわりから怪しまれたものだった。
だが、もちろん私にも彼にも同性愛的感情はなかった。

チェコの彼女との場合

次に、私の今までの数少ない女性遍歴(?)を振り返って、男女の出会いについて考えてみたい。
下記の記事でも書いたように、私はいままでに7人ほどの外国人女性と交際した経験がある。
交際にまで至らなかったが、その一歩前あたりまで行った女性も含めると、もうちょっと増えるかもしれない。


いままでの経験で、非常に強い運命によって出逢わされたと思うケースがあった。
それは、チェコ人の女性との出会いだった。
1999年6月のことだった。
まだ、その彼女とは出逢っていなかった。
私は、仕事の出張でイスラエルへ行った。
その時、その未来の彼女となるチェコの女性も、イスラエルに来ていた。
彼女がイスラエルを訪れたのは、後にも先にも、その時だけだった。
その3日間、私と彼女は、同じ国にいたのだ。
だが、まだ二人が出逢う時は熟していなかったと思われる。
しかし、二人の間に何か強い運命的な絆がありそうだということは、十分に察せられた。


翌年の2月10日に、プラハに住む彼女は、ある夢を見た。
その夢で彼女は、日本に住む「Prince」に出逢ったという。
それは、どうも私の過去生のある時と関連しているようだった。
彼女がその夢を見た夜、私は再度イスラエルに出張に来ていた。
二人の過去生では、どうもイスラエルという国が非常に重要であったらしい。
翌日に、私はイスラエルからフランスのルルドへ移動し、有名な奇跡の泉を初めて訪れた。


その年の6月に、私はネット上で彼女と知り合い、彼女からメールをもらった。
そして、彼女の誘いを受けて、9月にプラハへ向かった。
彼女がひとりで住む家の一室を借りて、泊まった。
渡航する前には、「あなたとは男女の関係にはならないからね」と、念を押されていた。
そう言われてしまってからには、私もまったくそうなるつもりはなかった。
ただ、どうしても彼女に会いに行かなければならないという、強い衝動を感じていた。


彼女は、巫女的とも言えるほどに強い霊的能力を持ちあわせていた。
日本へ帰る最後の夜に、二人は互いに好意を抱いていたことを知った。
彼女が私の告白を待っていることは、明らかだった。
彼女の部屋に初めて招かれ、対面していろいろな話をした。
(彼女の寝室に招かれたということは、彼女にとっては特別な意味があったに違いないが、それすら気づかないほどに、私は男女のことについて鈍感すぎた)
無益な沈黙が長く続いた。
そして、奥手な私はやっとのことで、彼女の手を握り、彼女に対する好意を告白した。


その後、遠距離恋愛の交際が進み、メールで二人の将来の可能性を話し合うようになった。
英語が片言しか話せず、チェコ語がまったく話せない私との間では、メールのやりとりが最善の意思疎通の方法だった。
だが、彼女は日本という国に強い抵抗を感じていて、どうしても日本に住むことが難しいと言っていた。
彼女の過去生のある時に、日本で何か強いマイナスのカルマを作っていたのだろうと思われる。
しかし、私と一緒になるためにどうしてもやむを得ないならば、仕方なくその道(日本に住むこと)を選択するだろうとも言っていた。


だが、二人の仲は長くは続かなかった。
白人女性の強い自我に、私はついていく自信がなくなった。
また、二人の強い結びつきは、なんらかの強いマイナスのカルマによる吸引力がさせる業だと思うようになっていた。
別れた方が、お互いのために良かったのだろう。

カルマの吸引力

男と女が共に人生の道を歩むことになる時に、多くの場合、その主目的は二人のカルマを解いていくということにある。
別の表現を用いれば、「カルマを成就する」と言い換えても良い。
だが、私とチェコの彼女との場合のように、強いマイナスのカルマで吸い寄せられるように結びついた場合は、長い目で見れば、その関係を回避した方が良いという選択肢もあるのだと思う。
それは、決して人生で与えられた課題から逃げているのではなく、「カルマが成就する」ためのより良い時(それは今生とは限らない)まで待った方が良いということなのだ。

現在の彼女との場合

運命の強い力で結びついたという意味では、今のタイの彼女との場合もそうだろう。
今後二人の関係がどういう方向へ進むかは、神(または仏陀?)のみぞ知るだが。
二人の間には先が見えない部分もあるが、こんなにも私のことを理解してくれている女性を大切にしないわけにはいかない。


というわけで、詳細は書かないが、二人の間でも運命的としか思えない出逢いの仕方があった。
なぜ彼女は日本に強く惹かれるのか?
なぜ私は何年も前からタイへ行きたいと思って(思わされて?)いたのか?
なぜ二人の過去がオーヴァーラップする部分が多いのか?
なぜ私はタイで女性を探そうと思うようになったのか?(これも背後の存在の計画の一部?)
なぜ私は、あるサイトに登録するようになったのか?(これも計画?)
そして、なぜ彼女も私とほとんど同時期に登録したのか?(彼女の背後の存在の計画?)
なぜ私は、彼女のプロフィールを見つけて特別に惹かれたのか?
なんだか、何年も前から仕組まれていたかのようではないか。


もし二人の出逢いが偶然ではないとしたら、やはりすべては仕組まれていたと考えざるを得ない。
未来のことはわからない。
だが、少なくとも二人には、互いに学ぶべき課題があるのだろうと思っている。
どういう結果が待ち受けていても、現世という学校で学ぶべきカリキュラムを与えられたからには、それを終えなければ次へは進めない。
たとえそれが「永遠」のものではないとしても、互いに学べることはある。
人生とは、そういうものだろう。


こうして私が今生でいろんな国の女性と何度も出逢いと別れを繰り返しているのも、自分のひとつのカルマなのだろう。
霊能者みたいな人もビックリするくらいに、私は過去生のいろんなところでいろんなことをしてきたらしい。
そして各地でいろんなカルマを作ってきたのだろう。
「馬鹿はしななきゃ治らない」というが、私のどこがいったい馬鹿なのか、教えてほしいものだ。
…と、うしろの存在に聞いても、教えてはくれない。
「そんなこと自分で考えなさい」ということなのか。

運命的な出逢いが起きるわけ

pさんに対するレスでも書いたが、奇跡のような運命的な男女の出逢いでも、じつはそれは「必然」によるものであったりする。
ではなぜその必然が起きるのかというと、やはり二人を指導する背後の存在がそうさせるのだろう。
そうとしか考えられない。
人間は自分一人の力で生きていると思っていても、じつは誰にもついている見えない存在に導かれて、指導されて生きている。
そして、そういう存在が「お膳立て」してくれるからこそ、「運命の人」との出逢いも起こり得るのだ。
そのようにして自分を良い方向へ導いてくれる存在に、いつも感謝の念を忘れないようにしたいものだ。
私も、いつも神棚に向かって手を合わせている。


この記事はちょっと言葉足らずなところがあるが、書き足りないところがあると気づいたら、また続編ででも書くことにしたい。



スポンサード リンク



Copyright (C) 2004-2017 Naoya Momose. All Rights Reserved.