探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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三重県聖地巡礼記(2)津市〜松阪市


【注意】この聖地巡礼記は、巡礼した日のブログ記事として書いているが、実際は帰京後に執筆したものです。


三重県聖地巡礼の2日目は、5社の神社を巡礼する。
7:30にホテルを出て、津駅と反対方向の津新町駅の方へ歩き出す。
伊勢街道を南へ2Kmほど歩いたところの大市神社へ向かう。
この広い通りは、かなり頻繁にバスが走っているので、それに乗る手もあった。
だが、聖地巡礼の基本は「歩き」だ。
楽をしようとしてはいけない。
うしろから、そういう声が聞こえてきそうだ。

大市神社(津市)

伊勢街道をちょっと入ったところに、大市神社があった。
この神社も、式内社だ。
主祭神は、オオイチヒメノミコト(大市比売命)。
他にも、天照大神ほかの神々が配祀されている。


大市神社は、任那からの帰化人の大市氏がその祖を祭ったものとされている。
祭神のオオイチヒメノミコトは、スサノオノミコト須佐之男命)の御后とある。
オオヤマヅミノカミ(大山津見神)の娘で、スサノオノミコトの妃となった。
その後にオオトシガミ(大年神)とウカノミタマノミコト(倉稲魂命)を産んだために、五穀神とされている。
ウカノミタマノカミは宇迦之御魂神とも書くが、京都・伏見稲荷大社主祭神だ。
というよりも、「お稲荷さん」として親しまれていると書いた方がわかりが早いかもしれない。



鳥居の脇に、「郷社大市神社」の標が立つ。
木造の鳥居をくぐると、正面に赤い屋根の社殿がある。
右隣には、境内社として稲荷神社が祀られている。
ウカノミタマノミコトは、オオイチヒメの子神だからということだろう。

国魂神社(くにたまじんじゃ)(津市)

大市神社から北西へ2Kmほど歩いて、国魂神社に着く。
津駅の隣の津新町駅から北へ1Kmほど歩いたところにある。
ここの御祭神は、「造化神八柱」となっている。
具体的には、次の八柱の神々だ。

  • クニサヅチノミコト(国狭槌尊
  • トヨクモヌノミコト(豊斟渟尊
  • ウイジニノミコト(泥土煮尊)
  • スイジニノミコト(沙土煮尊)
  • オオトジノミコト(大戸道尊)
  • オオトノベノミコト(大戸邊尊)
  • オモダルノミコト(面足尊)
  • カシコネノミコト(惶根尊)


その他にも、明治時代に近在の神社の神々27柱を合祀して、多くの神々が祀られている。
三重県では、このように多くの神々を合祀した神社が多いのだろうか。
神社に置かれていた由緒書きによると、当社はかつては八王子社と称していた。
901年の延喜式より以前に既に鎮座していたことが伺えるとしている。
明治41年に、近くにあった志夫弥(しぶみ)神社を合祀している。
この志夫弥神社は、延喜式神名帳にも見える式内社だ。
そういう由緒ある神社を合祀してしまうというのは、どういうものだろうか。


上記のように、国魂神社は天地造化の神八柱を御祭神としている。
宇宙全体の平和を祈願するに相応しい神社だろう。
境内を入ると、ここに来る途中で見たボウイスカウトとガールスカウトの少年少女たちが集まっている。
境内にボーイスカウトの小屋が建っているようだ。



お祈りが終わって、自動販売機式のおみくじがあるので、引かせていただくことに。
開けてみると、41番の大吉だった。
世界の平和を祈る気持ちが伝わったのだろうか。


気をよくして、国魂神社を後にする。
津新町駅まで歩き、近鉄山田線に乗って15分ほどで松阪駅へ。
ここまで聖地巡礼してきたところは、どこも生まれて初めて降りる駅だった。
松阪駅のコインロッカーに荷物を預けて、身軽になる。
初めて訪れる町や村は、いつもワクワクする。
松阪は、「まつざか」ではなく「まつさか」と発音する。


松阪(まつさか)神社(松阪市

阪神社は、松阪駅から西へ1.5Kmほど歩いたところにある。
近くには、松阪城がある。
城下町らしく、昔の面影を残す民家が並ぶ道を歩く。


阪神社の御祭神は、ウカノミタマノカミ(宇迦之魂神=稲荷神)とホムダワケノミコト(誉田別尊=八幡神)だ。
古来は意悲(おい)神社と称していて、主祭神はウカノミタマノカだった。
延喜式神名帳に記される「伊勢国飯高郡 意悲神社(おいじんじゃ)」がこの神社だとされている(他説もあり)。
室町時代末期の天正16年(1588年)には、蒲生氏郷公が松阪城を築城した際、八幡神を合祀したという。
現在は、他にも33柱の神々が合祀されている。



境外の参道を歩いていくと、木々に覆われた小高い丘がある。
鳥居をくぐり、石段を上っていったところに境内がある。
こういうところならば、千年以上前から神社があってもおかしくないだろう。
境内には、大きなご神木が立っている。


お祈りを終えて、おみくじを引かせていただく。
25番の中吉だった。
おみくじの裏には3つの心得が書かれていて、3つ目にはこうある。
「大御心をいただきてむつび和らぎ
国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること」
はい、そのためにここに参りました。



神社を出て、松阪城の前を通って、松阪駅の反対側へと歩いていく。
阪神社から次の目的地までは2Kmほどと見積もっていたが、実際はもっと遠かった。
身軽にはなっているが、やはり疲れる。



加世智(かせち)神社(松阪市)


30分以上歩き、加世智神社に着く。
めず目を惹いたのが、鳥居の奥に幾重にも鳥居が立っていること。
稲荷神社以外では、こういう形態は珍しいだろう。
加世智神社という社名も珍しく、ここだけのユニークなもののようだ。
延喜式神名帳にも、そのまま加世智神社とある。
祭神は、カゼケツワケオシノオノカミ(風木津別忍男神)。
他にも、多くの神々が合祀されている。
古くから付近一帯の漁民の崇敬を得ていたようだ。


主祭神のカザケツワケオシノオノカミは、古事記に登場する。
イザナギノミコト(伊邪那岐命)、イザナミノミコト(伊邪那美命)が国生みを終えた後に生んだ神々のうちの一柱だ。
風害を防ぐ神として信仰されている。


合祀された神々の中に、橘姫神がある。
オトタチバナヒメ弟橘媛命)さまのことだろう。
この神社は、松阪港から南へ2Kmほどのところにある。
やはり海に出る者たちにとっては、海上の安全を守ってくれる女神さまなのだろう。



深い木々に囲まれて、いるだけで癒されそうな神社だ。
さきほどから、女性が一人で境内のベンチに腰かけている。
お祈りが終わっても、ずっとそこにとどまっている。
この人も、やはり癒されたい口だろうか。


Blackberryでwebにアクセスし、三重県のタクシー会社を探す。
電話をかけて、タクシーを呼ぶ。
松阪駅まで行ってもらう。
近鉄山田線に乗り、15分ほどで斎宮駅に着く。


竹神社(多気郡)

斎宮駅で降りると、ホームの外に広い空間が見える。
斎宮跡の建物の模型が並んでいる。
竹神社のあとで、見学することに。


斎宮(さいくう、いつきのみや、いわいのみや)は、古代の伊勢神宮に奉仕した斎宮(斎王)のための御所だ。
斎宮または斎王(さいおう、いつきのみこ)は、伊勢神宮賀茂神社に奉仕した巫女。
伊勢の斎宮は、代々天皇の未婚の内親王天皇の皇女および姉妹)または女王(親王の娘)がなっていた。


垂仁天皇の御代、竹連・竹氏という豪族がこの地に留まり、当社を創建したといわれる。延喜式神名帳にも、竹神社とある。
竹は、郡名または郷名の「多気」に由來するものと思われる。
斎宮が建てられる以前から、当地にいたらしい。
主祭神は、ナガシラハノカミ(長白羽神)で、他にアマテラスオオミカミ(天照大神)など多数の神々が祀られている。


斎宮駅から南へ300mほど歩いたところの道路沿いに、竹神社があった。
境内を入ると、いかにも由緒ありそうな古社であることがわかる。
社殿は、伊勢神宮境内社と同様の神明造となっている。
閉じられた扉の前で祈る形になる。



竹神社は、あの「太陽の道」とも大いに関係している。
現在地は、太陽の道から300mほどずれているという。
だが、もともと鎮座していた場所は「斎王宮址」石碑から真西へ800mのところだった。
そこはまさに、太陽の道と緯度が一致するところなのだ。


【参考サイト】
・竹神社: http://www5f.biglobe.ne.jp/~macotom/ie_e.html



ところで、斎宮たちは、なぜ女性だったのか。
常識的に考えれば、斎宮たちが祀っていた神が「男神」だったからだろう。
巫女とは、あくまでも「神の妻」であるはずだ。
このことについては、拙作『聖地巡礼ファイル』「#302 諏訪と伊勢を結ぶ」の「天照大神男神か?」で書いている。


斎宮跡(多気郡)

竹神社を出て、斎宮駅前にある斎宮跡へ行く。
昭和45年、団地造成計画に先立って事前発掘調査が行われ、一般の住居跡から出土しない土器が出土し、斎宮跡が当地にあったことがわかった。
700年前に斎宮制度が廃止されてからは「幻の宮」といわれ、その場所がわからなくなっていた。


広大な斎宮跡の敷地に、実寸の10分の1の建物の模型が置かれている。
自分が巨人になったような、変な感覚だ。
かつてこの地に、斎宮の宮殿と斎宮寮(さいくうりょう)という役所があった。
敷地の片隅は、古代米(赤米、黒米)の畑になっている。



天皇が即位した際に、新たな斎宮が占いで選ばれた。
訳660年間で54人の斎宮がいた。
そのうち、最年少は2歳で、最年長は30歳だった。
斎宮が任務を終えて帰れるのは、退下(たいげ)といって、天皇崩御または譲位のときか、または自分が皇后に立つ時だった。
自分の罪または事故によって解任されることもある。
事故とは、たとえば斎宮が男女の関係をもってしまった時などだ。
皇子に犯されて解任された斎宮が、かつて2人いた。

斎宮の役割とは、天皇に代わって天照大神の「御杖代」となること。
つまり、太陽神のシャーマンだ。
神妻としての斎宮だから、もちろん処女でなくてはならない。
だが一人の女性として、恋い慕う相手ができてしまうこともあった。
伊勢物語』の一節にも、そのような話が見える。
このときの斎宮(第31代恬子内親王)の恋の相手とは、在原業平だったといわれる。


この斎宮跡の地で、かつて様々な人間ドラマが繰り広げられていたわけだ。
いつの時代でも、男と女がいれば、やることはそう大して変わらなかったのだろう。
斎宮跡に隣接した、いつきのみや歴史体験館に入ってみる。
財団法人国史斎宮跡保存協会が管理しているところで、入場無料だ。
昔の貴族の日常生活を体験したり、十二単(ひとえ)を着たりすることができる。
斎宮に関するさまざまな出版物も置いてある。
斎宮物語』(中野イツ著)という小冊子を買い求める。
50頁ほどの本だが、斎宮の生活などについて概要的な知識を得られる。



松阪へ

近鉄山田線に乗り、松阪駅へ戻る。
松阪の駅前を見る限りでは、思ったほど発展していない。
津の方が駅ビルなどがあって、ずっと大きな街に見えた。
駅から歩いて8分ほどで、楽天トラベルで予約していたビジネスホテル三恵に着く。
ホテルにしては変わった作りだと思っていたが、どうも以前はアパートだった建物を再利用しているようだ。
こういうところに泊まるのは初めてだ。


休憩してから、夕食を取りにホテルを出る。
松阪の町の食べるところを見ると、松阪牛を扱った店ばかりだ。
「さと」という和食のファミレスで食べることに。
以前に伊勢巡礼の際に入ったことがあった。


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