探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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三重県聖地巡礼記(1)亀山市


【注意】この聖地巡礼記は、巡礼した日のブログ記事として書いているが、実際は帰京後に執筆したものです。


2009/09/19(土)から、国民の祝日の制度が変わり、今年初めて9月の5連休が実現した。
この連休の初日から3日間で、三重県聖地巡礼することとなった。
その「指示」が出て巡礼地が決まるまでの経緯は、こちらの記事で書いている。↓

上記の記事でも書いているが、下記のような日程となった。

◎9/19(土)
 ・忍山(おしやま)神社(三重県亀山市)【式内社
 ・布気皇館太(ふけこうたつだい)神社(三重県亀山市)【式内社
 ・津市の宿泊
◎9/20(日)
 ・大市神社(津市)【式内社
 ・国魂神社(津市)【式内社
 ・松阪神社(松阪市)【式内社
 ・加世智神社(松阪市)【式内社
 ・竹神社(多気郡・斎宮駅)【式内社
 ・松阪の宿泊
◎9/21(月)
 ・伊勢神宮外宮【式内社
 ・伊勢神宮内宮【式内社
 ・二見興玉神社
 ・名古屋→東京(夜行バス)


上述のように、平安時代延喜式神名帳に社名が見える式内社がほとんどだ。
1000年以上の歴史がある神社ばかりを巡礼することになる。
2日目までに巡礼する神社のうち、以前から知っていたのは忍山神社だけだ。
今回は三重県の神社ばかりを10社廻ることになる。
亀山市、津市、松阪(まつさか)市は、初めて訪れるところだ。
神社にしても、3日目の伊勢神宮二見興玉神社以外は、初めてのところばかり。
初めて尽くしの巡礼だ。

巡礼1日目

目が覚めたら8:30。
あわてて、ヒゲも剃らずに家を出る。
8:30頃の電車に乗るつもりだったのだ。
品川駅で、えきねっとで購入していた切符を受け取る。
発車時刻が過ぎているが、自由席ならば乗れると言われる。
満員ののぞみの自由席に乗り込む。
予定していた列車よりも30分ほど遅れた9:55頃に発車。
通路に立ち続ける。
今回の巡礼では、伊勢神宮で御垣内参拝をするために、背広にネクタイという姿だ。


名古屋に着いたのは、結局乗る予定だった関西本線の快速の発車前だった。
最初から、乗り継ぎ時間に余裕があったのだ。
名古屋からJR関西本線の快速で、約1時間で亀山に着く。
この日の目的地は、亀山市亀山駅から徒歩圏内にある2社の神社だ。


亀山駅を降りると、すぐ前に東海道が東西へ延びている。
駅から布気皇館太(ふけこうたつだい)神社へは、東海道を西に2.5Kmほど歩いたところにある。
忍山(おしやま)神社は、そこから亀山駅へ戻る途中にある。
それならば、最初に忍山神社にお参りすれば良いようなものだ。
だが、巡礼の順番まで指示されているということは、意味があるのだろう。


すべての荷物を持って歩いているので、かなり重い。
亀山駅にコインロッカーがあったら、預けてくるべきだった。
オマケに、Googleマップを見間違えて、道に迷ってしまう。
Blackberry専用のアプリであるGoogleマップを立ち上げて、チェックする。
かなり行き過ぎてしまっていたことが判明。
東海道から旧東海道に入り、東へ歩く。
小さな車でもすれ違うのが難しいような狭い道だ。
昔の面影が残る民家がある。
数百年タイムスリップしたような感覚になる。

布気皇館太(ふけこうたつだい)神社(亀山市

布気皇館太神社の前に着く。
とても変わった社名の神社だ。
もちろん、同名の神社は日本にない。
いわゆる「元伊勢」の一社だとされている。
元伊勢(もといせ)とは、伊勢神宮が現在地へ遷る以前に一時的に祀られたという伝承を持つ場所のこと。
崇神天皇の時代までは、天皇と皇祖神である天照大神は皇居内に祀られていた。
それを畏怖した崇神天皇が、皇女の豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)に神霊を託して倭国笠縫邑(かさぬいむら)に移したのに始まりとされる。
その後も各地を転々として、垂仁天皇の第4皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)が引き継いで、約90年かけて現在の伊勢の地に遷座したと言われている。


その元伊勢は、最後の伊雑宮まで計27社ある。
その内の17番目の「鈴鹿国・奈其波志忍山宮」が、現在の布気皇館太神社だと比定されている。
前述の延喜式神名帳にも「伊勢国鈴鹿郡19座並小布氣神社」との記述が見られる。
祭神は、伊勢神宮と同じアマテラスオオミカミ(天照大御神)とトヨウケノオオカミ(豊受大神)、そしてイフキドヌシノカミ(伊吹戸主神)の三柱。
他にも、多くの神々が合祀されている。



鳥居をくぐると、両脇に石灯篭が並ぶ参道が数十メートル続く。
高く生い茂る木々が終わったところで、社殿があった。
境内に車があるところを見ると、無人の神社でもなさそうだ。
蝉の鳴き声だけが響き渡る。
少なくとも千年以上昔からあった、歴史ある神社だ。
もっとも、ずっと現在地にあったわけではないが。


拝殿前に立ち、祈りを始める。
いつものように、氏名・生年月日・干支・住所を名乗る。
そして祈りの目的を伝える。
地震沈静と民族のカルマ解消のお祈りをさせていただきます」と。
主祭神が、家の神棚にお祀りしている天照大神さまなので、いつもお守りいただきありがとうとございますとお礼をする。
そして、顕界と霊界ともども進化と調和がもたらされ、地球に神の国ができ、宇宙全体が平和になりますようにと祈る。
宇宙創造神とつながっている者として、これは欠かせない。
次に、この神社にお参りされる方々、氏子の方々、そしてこの地域一帯に住まわれる方々がすべて幸せになり、霊的成長ができ、皆が成り立つ結果にお導きくださいと。
以上の祈りは、世界のどんな聖地へ巡礼したときでも同じだ。



今回は、祈りの目的まで守護する存在に伺わなかった。
まあこれだろうと、だいたいわかっていたので。
その祈りとは、地震沈静であり、また民族のカルマ解消の祈りでもある。
また、秋にはどこの神社も大きなお祭りがあるのが普通なので、お祭りがつつがなく執り行われますようにとも祈る。


だいたい、以上のお祈りをして、少なくとも10分はかかる。
祈っているうちに「トランス状態」に入ったりすると、もっと長くなることもある。
今回の聖地巡礼では、そうはならなかったが。


蛇足だが、神社仏閣へお参りして、数秒とか数十秒とかで祈りを終えてしまう人を見ると、「本当に祈っているのかな?」と疑問に思ってしまう。
もちろん本人たちは祈っているつもりなのだろうが、本当に祈りが届いているのだろうかと、心配になってくるのだ。
そもそも、祈るということを本当に理解しているのだろうかと。
本当に理解していたら、数秒間とか数十秒間で終わったりできないだろうが。
祈りという行為をする際には、まず自分の意識をある程度深いところへもっていく必要があると思っている。


祈りが終わり、買ったばかりのSONYのビデオカメラで境内を撮影。
HDR-XR100という、HDD方式のカメラだ。
解像度では10万円クラスの製品に劣るが、フルハイヴィジョン対応で、聖地巡礼の記録を残すにはとりあえず十分だ。
最高画質の設定でも、10時間分はハードディスクに記録できる。
バッテリーはヤフオクで安いものを落札したが、8時間ぐらいは撮影できる容量があって十分だ。


忍山神社(おしやまじんじゃ)(亀山市

神社を出て、新東海道沿いを亀山駅の方へ戻る。
10分弱歩き、新東海道から右へ入ったところで、忍山神社の鳥居が見えた。
こちらも、いわゆる式内社だ。
祭神サルタヒコノカミ(猿田彦神)で、アマテラスオオミカミ(天照皇大神)も配祀されているほか、多くの神々が合祀されている。
この神社と布気皇館太神社の主祭神を知って、なぜ布気皇館太神社の方を先に廻らされたのかがわかった。
アマテラスさまをお祀りした神社の方が、やはり優先ということなのだろう。
このへんは、神道の神々というのは厳しいものがあるので。



この地も天照大神の御遷幸の地であるとされて、倭姫命鈴鹿に来られた際に、忍山で神宮を奉斎した忍山神宮の旧跡だという。
それにしても、「元伊勢」であり、また式内社である布気皇館太神社と忍山神社の2社がダウジングで出たということは、やはり偶然ではないのだろう。


じつはこの神社、ヤマトタケルノミコト日本武尊)の妃だったオトタチバナヒメノミコト(弟橘媛命)とも関係がある。
日本書紀』によると、オトタチバナヒメさまは、かつて忍山神社の祀官だった穂積氏忍山宿弥(ほずみうじ・おしやますくね)の娘だとある。
その穂積氏は、物部氏系の古代氏族だ。
オトタチバナヒメは、この地で生誕されたという伝承もある。


私は家で、神奈川県・観音崎の走水神社の神札をお祀りしている。
走水神社の御祭神は、ヤマトタケルノミコトさまとオトタチバナヒメさまだ。
そして、オトタチバナヒメさまをお祀りした神社を今までいろいろ廻らされてきた。
そのように、この女神さまとは何か深いご縁があるようなのだ。
そういう人間に、忍山神社まで巡礼するようにと「指令」が出たのも、偶然のことではないのだろう。
いつか行かされるだろうと思っていたら、「やっぱり」という感じだ。



この神社も、さきほどの布気神社と同様、うっそうとした木々に囲まれている。
千年以上の歴史を感じさせるが、こちらもずっと当地にあったわけではない。
全体的に、布気神社と似たようなつくりになっている。


社殿の脇に、「倭姫命御順幸地跡」の碑が立っている。
弟橘媛さまを偲ばせるものはといえば、入口の由緒書きに御祭神名とともに、「弟橘媛命生誕地」と書かれているぐらいだ。
ちなみに、日本武尊の陵墓の否定地が、同じ亀山市にある。
宮内庁が定めた「日本武尊能褒野(のぼの)陵」だが、他にも日本武尊の墓とされる古墳が、三重県に数箇所あるらしい。


津市へ移動

東海道を歩き、亀山駅へ戻る。
重いバッグを背負って、かなり歩き疲れた。
今日はこの2社だけで終わって良かった。
亀山からJR紀勢本線で15分ちょっとで、津駅に着く。
津は、かなり大きな町だ。
だが、なぜかコンビニというものがあまりない。
駅前にあることを後で知ったが、ホテルまでの途中で見つけられなかった。
駅から10分ほど歩いて、楽天トラベルで予約していたビジネスホテル三徳へ。


安いなりに、部屋は狭い。
普段の料金が3500円だが、シルバーウィーク料金で1000円プラスとなっている。
しばらく休憩してから、18:00すぎにホテルを出る。
この辺は、松阪市に近いせいで、松阪牛を食べさせる店が多い。
だが、ヴェジタリアンの私には関係ない。
食べられるものを探すのは、けっこう苦労する。
けっきょく、駅ビルに入っている丼ものの店に入る。
鮭の刺身とイクラが乗った「いくら・さけとろ丼」を注文。
これはけっこう当たりだった。
ゴマ醤油にわさびを混ぜたものをつけて食べる。
値段はたしか750円ぐらいだと思った。
アストという駅ビルの地下1階の『ザ・丼』という店だ。


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