昨日から、さっそく『聖地巡礼ファイル』の執筆に入った。
「#303 神功皇后伝説を追って」という仮題をつけてみた。
今回の巡礼記は簡単に終われるだろうなと思っていたが、そうもいかなくなりそうだ。
また難題を抱えてしまっている。
「神功皇后=斉明天皇」という大きなヒントは得たが、それで全ての謎が解けるわけではない。
いちばんの難題は、宇佐八幡の御祭神の謎だ。
また、今回も柳田國男が言うところの「イスラエルの古びた教え」と無縁でなさそうだ。
無理やりこじつけるつもりは毛頭ないが、秦氏が出てくるとどうしてもその方面につながってしまう。
やはり八幡信仰を探究すると、秦氏は避けて通れない。
はたして、辛島氏の原始八幡信仰に、マリアとイエス信仰が入り込んでいたかどうかだ。
あの柳田國男でさえ、前述のような言葉を漏らしてしまうほどだから、何かしらあるのかもしれない。
神功皇后も仲哀天皇も、架空の存在だろう。
特に仲哀天皇の行動には、古代イスラエル王国のサウル王と共通する要素が見られる。
宇佐神宮の中央に祀られた「比売大神」は誰かということも、大きな謎だ。
だが、元八幡である香原神社の御祭神を考えれば、見えてくるものはある。
鍛治神、シャーマニズム、母子信仰。
「比売大神=卑弥呼=天照大神」というのは、やはり無理があるだろう。
だが天照大神や韓国の建国神話と無関係ではない。
場合によっては邪馬台国と卑弥呼にも関係してくるかもしれない。
宗像・安曇・住吉といった海人族についても探求しなければならない。
欽明天皇は、「蘇我王朝の初め」だったのだろうか。
つまり王朝交替(クーデター)があったのか。
あれもこれもと、全ては無理としても、どこまでできるだろうか。
私の聖地巡礼は、「探究の義務」がセットになってきつつあるのだろうか。
「今回の仮題はこれね」とか。
なんだか学校で宿題を出されてるようだ。
しばらくはまた資料集めと読書三昧の日々となるか。
歴史の真実を探究することは、われわれの祖先の神霊や霊たちを供養することでもある。
無念の想いを持つ魂を鎮めるためにも。
そういう気持ちで、いつもやっている。