探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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長崎とルルドの奇跡



昨日は旧盆の送り火だった。
仏壇の前で般若心経を唱えた。


今日はずっと『聖地巡礼ファイル』「#300 殉教の地・犠牲の血(長崎)」の執筆をしていた。
まだ1日目を書き終わっていない。
資料がないとものを書けない人間なので、いろんな資料を参照する。
それで、かなり時間がかかってしまうのだ。


いまはまだ、3番目の二十六聖人殉教地のことを書いている。
今回の巡礼では、ひとつひとつの聖地に、かなりの思い入れがある。
ひとつひとつの聖地に、重みがあるのだ。
なので、かんたんに通り過ぎてしまうわけにはいかない。
この調子だと、今月中には執筆が終わらないかもしれない。


長崎は、いろんな意味で「奇跡の町」といえるかもしれない。
歴史があり、文化があり、一つ一つの場所に、すごく重みを感じる。
特に感動を覚えるのは、キリシタンの人々の信仰だろう。
日本という国の信仰の歴史を振り返ってみると、なぜこうまでにご利益信仰に満ち溢れているのだろうかと、心底イヤになることがある。
そういう時に救われる想いがするのが、天国を信じて殉教していったキリシタンの存在なのだ。

ルルドの奇跡

長崎から帰ってきたばかりということもあるが、さいきん頭の中で「カトリック」の文字が飛び交っている。
昨日はmixiで、ある人のあしあとが残っていた。
プロフィールを見てみると、ミュージカル座の『ルルドの奇跡』に出演されていた女性だった。
2005年に『ルルドの奇跡』と『ひめゆり』というミュージカルを観劇したが、その両方に出演されていたようだ。


その『ルルドの奇跡』が、以前にも書いたが、今年の秋に東京で再演されるという。
公演は、10月9日から13日まで。
また見に行こうかどうしようか、迷うところだ。
誰か一緒に行きませんか?


私は毎朝、神棚やヒヌカンや、その他お祀りしている神々に手を合わせる。
イエスさまの絵とマリア様の像と、そして聖ベルナデッタの写真にも。


長崎には、私にとって想い入れが深い対象がいくつかある。
それはルルドのベルナデッタさまであり、また媽祖さまであったりする。
また、過去生からのご縁が深い観音菩薩さまも、この地ではマリア観音としても拝まれていた。
そして諏訪神社も、長崎市民にとって重要な存在だ。
コルベ神父の足跡を尋ねたことも、自分にとって大きな学びとなった。


長崎のルルド

写真は、コルベ神父が聖母の騎士修道院につくられたルルドの泉。
よくできているが、マリア像は、ルルドのそれをまったく忠実に再現しているわけではないようだ。
2000年2月にルルドの地を訪れるまでは、まったく自分に縁がない世界だと思い込んでいた。
だが、過去生で、カトリック教徒であったこともあるのだろうと感じる。
長い輪廻転生の中では、一人の人間がさまざまな神仏と縁ができる。
もっとも、私のようにあちこちに出現していた人間は、ちょっと普通ではないのかもしれないが。
過去生からご縁があった神仏は、やはり大切にしたいと思うのだ。


キリスト教のことを書いても、「自分とは関係ない」とか「キリスト教はいまいち好きになれない」とか思う人もいるかもしれない。
リチャード・ヘンリー・ドラモンドの『日本のキリスト教史』には、「1600年頃、日本で一番大きな、また全国的に広まっていた宗教は、キリスト教であった」と書かれているという。
その当時、全国で300万人のキリシタンがいたという。
これを読んでいるあなたの先祖も、もしかしたらキリシタンだったかもしれない。
私のmixiマイミクさんにも、そういう人がいる。
たとえそうではなくても、日本の神社や寺院に祀られていたのが、じつはユダヤ教キリスト教の神だったとしたら…?
秦氏が祀った神社仏閣で、そのようなことが為されていたとしたら、大いにあり得ることだと思う。



弥勒信仰も、じつは「隠れイエス信仰」だったのかもしれない。
丹後の元伊勢・籠神社の宮司は、「豊受大神イスラエルの神である」と、はっきりと言われている。
豊受大神稲荷大神で、イナリ=INRI(ユダヤ人の王ナザレのイエス)となるのかもしれない。
少なくとも、秦氏が宇宙創造主を祀っていたことは、かなりはっきり言えることだ。
スピリチュアル世界の探求を続けていて感じるのは、一神教とか多神教とかいっても、じつは大きな違いはないのだということだ。


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