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『神道の中のユダヤ文化』久保有政著


神道の中のユダヤ文化』久保有政著

神道の中のユダヤ文化 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)

神道の中のユダヤ文化 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)


数日前に駅前の書店で見つけて、即購入した。
久保有政氏の「ユダヤ文化」シリーズの3冊目だ。
仏教の中のユダヤ文化』『日本の中のユダヤ文化』は、すでに読んでいた。
「ムーブックス」なんていうのは普段はぜったい買わないのだが。
この人の本は別だ。


いわゆる「日○同祖論」という言葉は好まないが、この著者もその点は同じらしい。
非常に誤解を招きやすい表現だろう。


この本では、日本の神道や古来の風習と、ユダヤ教の儀礼や古代イスラエルの風習とを比較している。
そして、そこに様々な類似点があることを指摘している。
そのすべてを紹介したらきりがないが、ごく一部を下記に示しておく。


これだけいろんな類似が偶然の一致として起きるとは、私には到底思えない。
その多くは、中国や朝鮮に見られないものなのだ。
ユダヤ教や原始基督教の習慣を古代の日本にもたらした者がいると考えるのが自然だろう。
問題は、それが誰か、だ。
それが秦氏の一族ではないかというのが、私の長年の調査の途中段階として言えそうなことだと思っている。
(それだけではないかもしれないが)

あやしい諏訪大社

秦氏とは別に、さいきん急激に浮上しているのが、古代イスラエル諏訪大社との関連性についてだ。
そのきっかけはといえば、イスラエルの失われた10支族を調査する機関AMISHAV(Amishav Organization: Lost Tribe Returns to Israel、アミシャブ、アミシャーブ)だ。
この機関が、日本での本格的な調査を開始したのだ。
2007年3月9日から21日にかけて、アミシャーブの一行が来日して調査を行った。
そして彼らが訪れたのが、伊勢神宮諏訪大社だった。

動物犠牲と諏訪大社

次に、上に書いた「なぜ動物犠牲がないのか」について。
血の穢れを嫌う神道では、一切の動物犠牲を神に奉げない。
ここが、ユダヤ教と大きく異なるところだと、一般には思われている。
だが、山羊、羊、牛などの家畜動物による贖いの儀式は、エルサレムの神の宮でしか行ってはいけないことになっているのだ。
AD70年にエルサレムの宮が破壊されて以来、2000年近くも、ユダヤ人たちは動物犠牲を奉げていない。


このことを知って、神道の風習について考えをめぐらせてみた。
神道で、動物犠牲を奉げていた例外的な神社があった。
それは、諏訪大社だ。
もし仮に、古代イスラエル10支族の一部が古代の日本を訪れたとする。
もしかしたら、彼らはエルサレムになぞらえた土地だけで、動物犠牲を奉げたのだろうか。
エルサレムのモリヤ(Moriah)の山と同じ名の山(守屋山)を御神体山とする諏訪の地で?


この部分は、ちょっと妄想かもしれないので、読み流してください。^^;
だが、妄想とはいえないかもしれない部分もある。


昔の諏訪大社の御頭祭(おんとうさい)では、75頭の鹿を供物として奉げていた。
これに対して、かつてサマリアでは、75頭の子羊が犠牲にされていたという。
それについては、下記の記事で書いている。


このことを初めて知ったときには、超ショックだった。
75という数字に、何か重要な意味があるに違いないと思っていたので。
御頭祭は昨年(2007年)4月にはじめて見る機会を得た。
そのときの映像を、YouTubeに投稿している。↓




諏訪大明神が諏訪の地を訪れる以前に、諏訪の地を治めていたのが、現在の守矢一族の祖先だった。
前述の御頭祭でかつて行われていた神事は、聖書の「アブラハムのイサクの奉献」の伝承に似ている部分がある。
アブラハムが神の命令により、息子のイサクを生贄に奉げようとしたが、けっきょくは羊が犠牲として神に奉げられた。
古代日本では羊がいなかったから、鹿になったのだろうか。


建御名方神以前の諏訪の信仰の対象だったミシャグジ神(ミシャクチ、ミサクチ)を、「ミ+イサク+チ」と分解して、その神名にアブラハムの息子だったイサクの名が隠れているという主張もある。
私は、その説を取らないが。
ちなみに、諏訪大社の神長官だった守矢家の家紋のひとつに、丸に十字が見られる。
これはシュメール(?)の楔形文字で「羊」を意味するという。


諏訪大社の天下の奇祭「御柱祭」についても、この本は言及する。
古代イスラエルにも、柱を立てる習慣があったからだ。
それらの柱は、アシェラ(アシラ)という異教の女神を象徴していた。
そのアシェラという言葉が日本に入ってきて、日本語の「柱」になったという説もある。
ちなみに、ヘブル語の定冠詞をつければ「ハシェラ(ハシラ)」という発音になるのだ。


妄想ついでに、もうひとつ。
諏訪大社でもっとも重要な祭礼の一つである御射山祭は、現在では8月27日を中心として行われるが、かつては旧暦7月27日の前後に行われていた。
全国各地の諏訪神社の大祭が7月27日または8月27日に行われるのは、そのためだ。
聖書のノアの箱舟伝説では、17日と27日が重要な日となっている。
ノアの箱舟がアララテ山に漂着したのが、第7月の17日だった。
そして、洪水でもたらされたすべての水がかわいたのが、翌年の第2月27日だった。
ちなみに、現在でも毎月27日には、諏訪大社上社前宮の月次祭が行われている。


ノアの箱舟といえば…。
諏訪大社の下社で行われる「御舟祭り」を思い出す。
現在では、毎年8月1日に行われる。
これも、ノアの箱舟がアララテ山に着いた第7月の17日に近いではないか。
御船祭がもし、ノアの箱舟を象徴した祭りだったとしたら、超大変なことになるだろう。


御舟祭りについては、こちらのページに詳細がある。
まだ私も実際に見たことがない祭りだ。
http://www35.tok2.com/home/soichisa/sub070801.html


この祭りでは、つくられたお船に、媼(老女)と翁(老人)の人形が向かい合って乗せられる。
思わず、箱舟に乗ったノアと妻を連想(妄想?)してしまう。
ノアは洪水が起きたときには、600歳だったとされているのだ。


また、四国の剣山に神輿を運び上げる祭礼が行われるのが、7月17日だ。
前述のように、ちょうどノアの洪水の後でアララテ山に漂着した日だ。
ちなみに、ヘブル語(ヘブライ語)では、箱舟も契約の箱も「アーク」と言う。
京都の祇園際も、この7月17日が中心となっている。
もっとも、祇園祭の方は、古代では必ずしも17日ではなかったようなので、除外すべきだろう。
四国には、いろいろと古代イスラエルとの関連を暗示するものが少なくない。
もし古代日本に10支族が来ていたとして、彼らにとって剣山=アララテ山(アララット山)だったのだろうか。


御舟祭りといえば、諏訪大明神のライヴァル神(?)が祀られた鹿島神宮にもある。
鹿島神宮でも鹿が神聖視されている。
そして、諏訪大社鹿島神宮は、東西一直線のラインで結ばれている。
これは何を意味するのか。


諏訪のことについて書くとつい白熱してしまって、「妄想」が長くなってしまったかも。^^;
340ページ以上のこの本は、けっこうな読み応えがある。
いままでの「ユダヤ文化」シリーズ3冊の中で、いちばん内容が濃いものとなっているかもしれない。


神道の中のユダヤ文化 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)

神道の中のユダヤ文化 (ムー・スーパーミステリー・ブックス)


◎『諏訪神社 謎の古代史―隠された神々の源流』
御頭祭など諏訪神社古代イスラエルの関係について書かれた本。
個人的には、この本のすべての主張に同意してはいないが。

諏訪神社 謎の古代史―隠された神々の源流

諏訪神社 謎の古代史―隠された神々の源流


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