探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

地震前兆・超常現象研究家の百瀬直也が地震予知・災害・防災・予言などを探求するWeb/ブログ(はてな旧サイト)




木更津聖地巡礼〜オトタチバナヒメ


前日の2007/06/01(金)夜、今週末に聖地巡礼すべきかどうかと、ダウジングで伺ってみる。
すると、木更津へ行くようにとの指示。
マップダウジングで出た目的地は、以下の通り。


当初は吾妻神社が最初に出たが、交通アクセスの関係で、変更させてもらった。
じつは、聖地巡礼は前の週に再度秩父へ行くようにとの指示があった。
だが、3歳の息子のゆうちゃんが幼稚園で、ある出来事によってストレスがかかっている。
それで、週末はなるべく楽しく遊ばせてあげようということで、巡礼を延期させてもらった。
私の人生にとって聖地巡礼は何よりも大切なことだが、沖縄のS師の「家庭が何よりも大切」というのを見習っている。


吾妻神社と橘神社は、このブログの愛読者(?)ならば、社名から察した人もいるかもしれない。
そう、御祭神が、あの弟橘媛命(弟橘比売命、オトタチバナヒメノミコト)さまだ。
茨城県・大洗の弟橘媛神社(天妃神社)や神奈川県・観音崎の走水神社でこの女神さまとのご縁ができたことは、いままでこのブログで何度も書いてきた通り。
だが、木更津のこの2社は、初めての巡礼だ。


なぜ、突然に木更津のオトタチバナヒメさまなのだろうか?
また、観音さまはどういう理由なのだろうか。
とにかく、行ってみることに。

木更津へ

2007/06/02(土)
全国各地を聖地巡礼しているが、なぜか房総半島の南の方へは行かされることがなかった。
同じ千葉県でも、銚子半島のあたりとかは何度も巡礼したのだが。
ひとつには、あのあたりは地下にプレート境界があって、地震沈静の祈りをするのに重要な地点だというのも、あるのかもしれない。
というわけで、木更津もはじめて訪れたことになる。
巡礼以外でも、このへんは今生で訪れたことがなかったのではないか。


8:00頃に家を出て、東京駅へ。
最初の目的地である高倉観音は、地図で見ると、近くにダムがあるような山中にある。
「これはちょっと行くのが大変だな…」
そう思って、ネットで調べてみると、意外にも、東京駅から出ている高速バスのバス停から徒歩15分で行けるとある。
すぐ近くに、かずさアカデミアパークというのがあるのだ。
ここは、バイオテクノロジーを中心とした先端技術産業に特化した研究開発拠点として開発されたらしい。
その中心的施設である「かずさアーク」の前に、高速バスが停まることがわかった。
八重洲口のドコモの前あたりにあるバス停から、9:35発の鴨川方面行きに乗る。
同じバス停から、千葉方面行きのいろんなバスがあるので、乗り間違えしないように要注意だ。


高速バスは千葉の方向ではなく南へ向かい、10:00頃に川崎から東京湾アクアラインに入る。
10年前に開通したが、通ったのは初めてだ。
7分ぐらい走って全長10キロ弱の海底トンネルを出てからは、5キロほど橋の上を走る。
その後に山中を走り、東京駅から1時間ほどで、かずさアーク前に到着。料金は1600円。

神遣い現る(?)

かずさアーク前のバス停は、路線バスも停まることを確認。
あとでここに戻って、木更津駅へ向かうのだ。
Infoseek地図でプリントした地図を頼りに山中を歩き、高倉観音をめざす。
今日は多少雲は出ているが、好天に恵まれた。
神さまに感謝したくなって、ふと空を見上げると、なんと太陽の周りに虹が出ている。



山中の道路を上っていき、高倉観音の入口が見えてきたところだった。
道路の左側を歩いていると、2メートルほど手前を右から左へ横切るものが視界に入った。
「出た!」
体調10〜15センチほどの茶色のトカゲだ。
虹の次は、神遣いか…。
家内とともに聖地巡礼して「神遣い」が現れるときは、決まって家内が見つける。
それで、私は「視野が狭い」といつも家内から言われる。
さすがに視野が狭い人間でも、歩いている前方2メートルのところに現れたら、見逃すことはないだろう。
そういう意味では、「絶好のタイミング」だ。
鈍い私にその存在を気づかせるためには…。
すぐにケータイを出して写真を撮るが、すでに茂みの中に入ってしまった後だった。
あとで写真を見ると、ほとんど写っていなかった。

平野山高蔵寺(へいやさんこうぞうじ)

高蔵寺真言宗豊山派の寺で、板東第三十番霊場とされている。
坂東三十三霊場というのは、西国の三十三霊場に対抗するものをつくろうということで、鎌倉時代にできたものだ。
そのうち千葉県にあるのは7霊場だ。
開創は用明天皇の御代(六世紀)まで遡るというが、本当はどうなのか。
ご本尊は、高さ370センチある聖観世音菩薩立像。
丑年と午年の10月18日〜11月18日のみ公開するという。
千葉県木更津市矢那に位置するが、かつてこのあたりは鎌足村といった。
この地名の由来は、この寺の由来である藤原鎌足伝説によるものらしい。



かつてこの地に猪長官という男がいて、40歳になっても子供ができないため、この寺に百日間籠もって祈願した。
すると一女を授かり、子与観と名づけた。
子与観はやさしい女性に成長したが、器量が悪いため良縁に恵まれなかった。
そこで再び当寺に祈願すると、「鹿島へ行って日天を拝しなさい」というお告げがあった。
その通りになって結婚し、生まれた男子が、後に藤原鎌足となった。
この因縁によって、白雉年間(650〜654)に鎌足が伽藍を建立したという。


この手の由来話は、どこまで本当かわからない。
だいたい藤原鎌足の出自はいろんな説があって、出身地も大和や鹿島と、定まっていない。
百済とか西域からの渡来系氏族だという説もある。


本堂で、祈る。
ダウジングによると、今日の祈りの目的も「地震沈静」と「民族のカルマ解消」。
「オン アロリキャ ソワカ」と、観音さまの御真言を21回唱える。
私の過去生のことは多くは書けないが…。
観音さまは、前世からご縁があったと思われる。
子供の頃のことを思い出す。
母や妹によると、親に駄々をこねたりすることがまったくない子供だったそうだが、一度だけ覚えがある。
浅草の観音さまに連れて行ってくれるという約束をしていて、それが中止になったときに、かなりゴネたのだ。
自分でも、なぜだかわからない。
いま考えると、前世からご縁があった仏さまのもとへ行きたいという想いがあったのだろうか。


本堂の由緒書きを読むと、この寺の「守護霊」は白蛇(しろへび)とある。
やっぱり、さっきのトカゲ…。
脇には、縁結び地蔵が立っている。
縁結びはどうでもいいのだが、手を合わせる。
地蔵菩薩真言「オン カカカ ビサンマエイ ソワカ」を唱えながら。



本堂にある自動販売機式のおみくじを引く。
22番の「大吉」だった。

ゆったりした幸の運にむかいますが油断はいけません。
正しく生き、すこしでも悪い楽しみにひたることがあってはいけません。

「は〜い、わかりました、観音さま」
裏を見ると…。

教え
二十五才まで学べ。
四十才まで研究せよ。
六十才までに全うせよ。

「五十才を過ぎても、いろんなことを研究してます」


本堂の床下に「観音浄土巡り」(300円)とあるので、入ってみる。
ここに入ると、6年に一度の一ヶ月間のみ公開のはずのご本尊を、実質的に拝むことができるのだ。
高さ3.7メートルの聖観世音菩薩立像が、その床下から立っているためだ。
そこには、他にもさまざまな仏像神像のたぐいが祀られている。
一つ一つお祈りしていては、いくら時間があっても足りない。
自分にとってご縁がありそうな神仏のみ、手を合わせる。
釈迦如来不動明王弥勒菩薩布袋尊聖徳太子、大黒天、恵比寿、弁才天…。
少なくとも、家でお祀りしている神々を素通りするわけにはいかない。
仙台四郎(福の神とされた実在の人物)とか、「高倉金精大明神」(男根)とか、変わったものも祀られている。


歴代の住職の趣味で集められたものかどうかわからないが、面白い寺だ。
だが、最初の巡礼地ですでに「祈り疲れて」しまった。
祈りで疲れるという感覚、わかるだろうか。
肉体的疲労とは違うのだ。

熊野神社

高蔵寺の隣りにある熊野神社にお参りする。
ここに熊野大神が祀られているのは、神仏習合の時代の名残だろうか。
社殿がひっそりと佇んでいて、お参りする人はあまり多くなさそうだ。
房総半島とか木更津のあたりには、どういうわけか熊野神社が多い。



じつは今回、マップダウジングをやっているときに、吾妻神社と高倉観音に続く3番目の巡礼地がなかなか決まらなかった。
木更津駅の東側あたりで盛んにペンデュラムが振れるのだが、どうしても見つからず、けっきょく近くにあった熊野神社だろうと思った。
だが、直後にネットで調べていると、そのあたりにある大田山公園の中に、橘神社という小さな社を見つけた。
「うしろの存在」は、オトタチバナヒメさまが祀られたこの小さな神社の存在を気づかせようとしていたのだろうか。
それで熊野神社は中止になったので、代わりにという意味も込めて、こちらの熊野神社にお参りすることにした。


この熊野神社の御祭神は、ネット上で調べたところ、伊邪那美尊、速玉男命、事解男命、木花咲耶姫命

木更津へ

かずさアークへ15分ほど歩いて戻る。
12:32の木更津駅東口行き急行バスに乗り込む。
上記の熊野神社のページにもあるように、高倉観音下というバス停もあるが、どのくらいの頻度でバスが来るかは不明だ。
木更津駅−かずさアーク間のバスの時刻表などは、こちらからリンクしている。
http://www.kap.co.jp/arc/access/


25分ほどで、バスは木更津駅に到着。
次の目的地である吾妻神社は、木更津駅から北へ1.5キロほど歩いたところにある。
あらかじめInfoseek地図をプリントしてきたが、駅前に「JR駅からマップ(木更津駅)」が置かれていたので、それをもらう。
この地図では、目的の吾妻神社と大田山公園(橘神社がある)が散策コースに含まれている。


木更津の地名の由来は、ヤマトタケルノミコトオトタチバナヒメノミコトの悲しい伝承にあるといわれている。
日本武尊三浦半島の走水から房総へ渡ろうとした際に海が荒れたので、弟橘姫が入水して海の神の怒りを鎮め、無事に渡ることができたが、上陸しても弟橘姫を偲んで立ち去ることができずに詠んだ歌。
「君去らず 袖しが浦に 立浪の その面影を 見るぞ悲しき」の「君去らず」が「君不去(きさらず)」になったというのだ。
だが、これも諸説あって、本当のところはどうかわからない。
下記ページの高蔵寺の由来話にあるように、この寺が造られたときに用材が不足して「木足らず」が「きさらず」に転化したのだという説もある。
http://www.nichibun.ac.jp/graphicversion/dbase/reikenki/bando/reijo30.html


木更津市から北へ行くと袖ケ浦市があるが、この地名もオトタチバナヒメ伝説に由来するものだ。
姫が身を投げられたあとで、着ていた着物の袖がこの地に流れ着いたというものだ。
もっとも、袖ケ浦の地名は各地の海辺にある。
どこかの伝説が他のどこかへ伝わったのだろうが、どこが「オリジナル」なのかは、容易に判定できない。

またも神遣いか(?)

木更津駅から歩き始めて、7〜8分たったときだった。
道幅4〜5メートルの道路の左側を歩いていて、前方3メートルほどのところを左から右へ横切るものがある。
よく見ると、またもや茶色いトカゲだ。
体長10センチぐらいか。
トカゲが歩く後をついていくと、自動車の下へ潜り込んでしまった。
また写真を撮ることができなかった。


オトタチバナヒメさまの神社へ向かう最中だから、やはり女神さまのお遣いなのだろうか。
今朝、家の走水神社の神札に向かって「今日お参りさせていただきます」と言っておいたのだが…。
すると、さきほど高倉観音へ入る直前に現れたトカゲはどうなのか?
女神さまでなくて、観音さま?
ちょっと解釈がむずかしくなってくる。
いずれにしても、また「視野が狭い」私の直前を横切るように現れたのだから、偶然で解釈するのはむずかしいかもしれない。


オトタチバナヒメさまについては、以前のブログで何度も書いているが、この女神さまについてよく知らない人は、下記ページを見てください。
子供向けのページですが、わかりやすく書かれています。
ヤマトタケルノミコトオトタチバナヒメ
http://www.chiba-muse.or.jp/KAZUSA/bunka/kodomo/sub-3.htm

吾妻神社

木更津駅から15〜20分ほど歩いて、吾妻神社の前に着く。
鳥居の前にバス停があって、木更津駅などからのバスが通っているようだ。
神社に入ると、砂利が敷き詰められ、よく整えられた境内だという印象をもつ。
もう少し緑が多いと、もっと良いのだが。
境内の木の本数は決して少なくはないのだが、葉が少ないせいで感じるのか。
少なくとも、拝殿の後ろが背後の道路から丸見えというのは、神社としては本来好ましくないだろう。
全体的に、ちょっと開放的すぎる。
ただ、何本か植林されていて、将来的にはもう少し緑豊かな神社になるかもしれない。



拝殿前で、ヤマトタケルノミコトさまとオトタチバナヒメノミコトさまに祈る。
ネット上では、御祭神弟橘媛さまだけになっているところがあるが、実際は夫婦神として祀られているようだ。
オトタチバナヒメさまだけ単独で祀られている神社というのは、私が知る限りでは、大洗の弟橘比売神社ぐらいだろう。
木更津駅のすぐ近くに八劔八幡神社というのがあって、ヤマトタケルノミコトはそちらの方にもお祀りされているようだ。
いつものように「この神社が更に発展しますように」とも祈る。
禊祓祝詞(みそぎはらえのりと)を奏上する。
祈っていると、大きなスズメバチが飛んできて、柱に停まる。


オトタチバナヒメさまは伝説上の存在で、本当にそのような女性がいたかどうか、わかっていない。
夫である日本武尊ヤマトタケルノミコト)さまにしても、その実在性が疑われているくらいだから。
ただ、記紀によれば、姫は穂積氏の娘だという。
穂積氏は物部氏と同系だ。
オトタチバナヒメさまがまったく架空の存在だとしたら、そこまで書かないのではないか。


常陸風土記では、「倭武(ヤマトタケル天皇」となっていて、オトタチバナヒメは「皇后」という呼び方をされている。
本当に、そのような天皇がいたのだろうか。
あるいは、一人の人物の功績とされた東国遠征が、じつは何代かにわたる複数の人物の行動の結果だったという説もある。
そのような可能性もあるかもしれないとも思うが、そうだとしても、オトタチバナヒメに対応する女性は、そのような人物の一人の妻として、実際にいたのかもしれない。


この吾妻神社の社名の由来は、ヤマトタケルノミコトが亡き妻を想って「吾妻はや…」と嘆いたという伝説から来ている。
だが、同名の神社は関東近辺に多くあり、どこがオリジナルだったのかの判断は難しい。


境内には、富士塚がある。
富士山に模して造られた人工の山や塚のことだ。
祭神は、コノハナサクヤヒメノミコト、イワナガヒメノミコト、ニニギノミコトとなっている。
境内にはまた、池もある。
「鏡ヶ池」といって、ここにもヤマトタケルノミコトオトタチバナヒメノミコトの伝説が残っている。↓


オトタチバナヒメさまは、海を守る女神さまともされており、船舶関係者たちは航海安全を祈る。
そのため、走水神社や大洗の弟橘比売神社の境内には、船の錨(いかり)が奉納されている。
だが、この神社にはないようだ。
鏡ヶ池のほとりのベンチに腰掛けて休む。
ところで、下記のページを見て、この神社の境内が「開放的すぎる」と感じた理由がわかった。
そういう方針のもとで、境内の「環境整備」がなされ、今年1月に完了したばかりだったのだ。


上記ページを見ると、「これまでのうっそうとした樹木がおいしげった境内から、樹木の上部伐採により、より明るくなり、犯罪から子供を守り…」とある。
たしかにそういうメリットもあるだろうが、やはり神社の本来のあり方からすると、疑問が残るところだ。
「神の力」は、豊かな緑があってこそ初めて得られるものだと思う。
たしかに、犯罪のことを考慮すれば、判断がむずかしいところがある。
だが、やはり神の都合を優先させるべきではないか。
神社とは、神が鎮まる場所なのだから。
その神社に本当に神がいるのならば、犯罪は防いでもらえるだろうし。
もしかして、今日この神社に巡礼させられたのは、この改修のお祝いということだったのだろうか。
そして、あのトカゲはお迎えか?

橘神社

次の目的地である大田山(おだやま)公園へと向かう。
木更津駅の東側にあって、吾妻神社からは、ちょっとした散歩になる。
駅で入手した地図を参考にして、歩く。
30分ほど歩いて、大田山公園の前に到着。
その名の通りに山の上にある公園で、道なき道を登っていった頂上に、橘神社があった。
神社といっても、ほんの小さな祠があるだけだが。


ここでも、禊祓祝詞を唱える。
赤い鳥居に「橘神社」と書かれた表札があり、そのバックが黄色というか、みかん色になっている。
これは、橘の実(柑橘類)の色であって、オトタチバナヒメさまを表す色とされているようだ。
さきほど高倉観音で現れたスズメバチのお尻の色が、ちょうどこの色だった。



この頂上には、「きみさらづタワー」が立っている。
ヤマトタケルノミコトさまとオトタチバナヒメさまの像がタワーの頂上にある。
そのタワーの前に立って、説明書きを写真に撮っていると、「ブ〜ン」という大きな音をたてて、またスズメバチが登場。
高倉観音のときよりも一回り大きいのが、私の鼻先10センチほどを飛ぶのだから、さすがに恐い。
背後に回りこんで飛んでいき、音が消えた。
もしかして、背負っているデイパックにでも停まったのかと思い、恐る恐る歩いてみたが、違っていたようだ。



タワーの階段を上ってみる。
山の頂上からさらに11メートルほど高いところにある展望台は、すごい絶景が得られる。
東京湾を一望できるのだ。
横浜のみなとみらいのあたりのビルもよく見える。
かつてヤマトタケルノミコトは、この大田山に登り、亡きオトタチバナヒメのことを想ったという伝説がある。

おわりに

山を下り、10分ほど歩いて木更津駅に着く。
ここから高速バスに乗るには、ちょっとアクセスが悪くなるので、内房線の快速で帰ることにした。
東京駅まで1時間20分ほどだった。


帰宅してから知ったのだが、14:43頃に茨城県南部でM4.6、最大震度4の地震があったようだ。
まったく気づかなかったが、ちょうど橘神社で「大地震の大難を小難に振り替えていただき…」と祈っている真っ最中か、またはその直後だった。
私の聖地巡礼では良くあることだが、これは偶然かもしれない。
断食状態で山中を含めて5〜6キロ歩いて、また祈り疲れもあったが、「神遣い(?)」が2回も現れて、充実した巡礼になった。
神遣いとしてトンボやトカゲが現れるということは、オトタチバナヒメさまは、やはり「龍神系(龍宮系)」なのだろう。


【参考サイト/ページ】


Copyright (C) 2004-2020 Naoya Momose - 百瀬直也. All Rights Reserved. Email