探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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七福神は出雲の神?


5/13の記事で紹介した本『謎の出雲帝国−怨念の日本原住民氏・天孫一族に虐殺された出雲神族の怒り』は、本当にショッキングな内容でした。
まだ読んでいない人は、下記の記事を読んでみてください。

出雲族とは

富家の伝承のすべてが真実だとは思わないけれど、いろんなことが自分の頭の中で整理されて、説明がつくという感じです。
出雲族というのは、モンゴルとか満州とか沿海州とか、あのあたりからやってきたのでしょうね。
元々はもっと西の方にルーツがあったのかもしれないけれど。
近年の「日本人はどこから来たか?」という科学的研究の成果を見ても、日本人の「ひとつの」ルーツがバイカル湖とか、あのへんにありそうだという傾向が見えてきています。
これはやはり出雲族なのでしょう。
言葉にしてもそうです。


日本語の起源については、これだけ情報が発達した時代でもよくわかっていなくて、謎の部分が多いとされています。
それでも、朝鮮語モンゴル語が近い言語とされています。
これらの言語に共通する要素としては、どれも膠着語(こうちゃくご)であるということです。
膠着語に分類される言語は、日本語、朝鮮語満州語モンゴル語のほかには、トルコ語ウイグル語、ウズベク語、テュルク諸語、フィンランド語、ハンガリー語タミル語などがあります。
フィンランド語とかハンガリー語と聞いて思いつくのは、「騎馬民族」です。
昔はフン族という遊牧民がいて、ローマ帝国にまで侵入したことが知られています。
上記のような国の名前として残っています(フィンランドフン族の国、ハンガリー=ハン族=フン族の国)。
出雲族というのは騎馬民族的な人々だったのかな…。
まあ、もっと探求してみないとなんともいえませんが。
それを考えると、スサノオと結びつきが強かった大本教出口王仁三郎がモンゴルとか満州へ行ったというのも、アヤシイですね。
富家の伝承によると、スサノオ族は出雲族とは別系統の種族だったそうだから、こちらはまた別に考えなければならないかもしれませんが。
まあ、たしかにスサノオというのは「出雲族」とするには、ちょっと毛色が変わった神さまです。

シャーマニズム大国

出雲族というのは、北方のシャーマニズム的要素が色濃くあったと思うんです。
だから出雲の神々(とそれに縁ある人々)というのは、サイの力(超能力)が出やすいんですね。
日本という国がこれほどまでに「シャーマニズム大国」みたいになったのも、出雲族の影響が大きかったのだと思います。


ぼくは自分の祖先のルーツが出雲なのか天孫系なのか、それとも別の渡来系なのかよくわからないけれど、やっぱり諏訪大明神にしても、出雲的要素が大きいのでしょう。
龍神に護られているように思われるのも、そういうことで説明できるかも。
でも、実際はいろんな血が混ざっているように思えます。
そうではないとしても、特定の種族に肩入れするつもりはありません。
天孫族出雲族も縄文人(アイヌ)も古代イスラエル人も他の渡来民族も、みんな過去のことは忘れて仲良くやろうよというスタンスなので。


ぼくはどうも、そういう一つの種族の神々を超えたところにいる神さまに動かされているような気がするんです。
というか、もっと書いてしまうと…、20代後半の頃だったかな。
日本だけというよりも、世界全体が調和して平和になりますようにと、いろんなところの神々に祈って廻ったんですね。
あの頃から、どうもそういう神さまと「チャンネル」がつながってしまったみたいなんです。
で、いろいろあって、インドネシアにいたときに、自分はもう個というものを捨てて、神さまの操り人形に徹しようと決めたんですね。
人生の目標とか個の幸せとかなんとか、そんなものはもうどうでもいいと。
聖地巡礼で世界平和とか民族のカルマ解消の祈りとか地震沈静の祈りとかさせられているのも、そのせいではないかと。
ちょっと脱線しましたが、本題に入っていきます。

謎の弁才天女はアラハバキだった

『謎の出雲帝国』を書いた吉田大洋氏の本で、先日の記事でも紹介した『謎の弁才天女―福神の仮面をかぶった呪詛の神』という本があります。
残念ながら絶版で、読みたいけれど入手できずにいます。
Amazonのユーズドストアで、12000円ぐらいで出品されています。
トクマブックスの定価数百円の本がですよ。
バカバカしいですね。
でも、それだけ読みたい人が多くいるということなのでしょう。


この本によれば、出雲神族の伝承を子々孫々伝えられてきた大国主命の子孫である富當雄(とみ まさお)さんが、亡くなる数日前に、出雲族についての重要な真実を吉田氏に告げたそうです。
それは、自分たちの祖先はクナトの大首長(おおかみ・岐神)だが、もう一つ隠された女首長がいて、それがアラハバキ荒吐神)だったそうです。
この両神が体制によって抹殺されようとしたとき、クナト神は地蔵として、アラハバキ弁才天として裏信仰されるようになったとか。
クナトノ大神は、お地蔵さまや道祖神、賽の神、サエの神などの道端の神さま仏さまとして生き延びたということなんですね。
そして弁才天として信仰されるようになったアラハバキ神も同様でした。
本を読んでみないと本当かどうか確信はもてないけれど、本当だったら大変なことです。

江ノ島アラハバキ信仰の地だった?

私事になりますが、うちでは七福神さまをお祀りしている他に、神棚には江島神社弁才天さまの神札をお祀りしています。
あるカミンチューに薦められてのことでした。
その方によれば、私は子供の頃から江ノ島(の神さま)に「呼ばれたいた」とか。
そういわれると、非常に思い当たる節がありました。
子供の頃から一人ででも江ノ島へ海水浴に行っていたし。
でも、江島神社にはたどり着かなかったんですね。
若い頃は、神社なんて自分にはあんまり関係ないところだと思い込んでましたから。


江ノ島といえば、古くからの弁才天信仰の地ですね。
下記ページは、ちょっと長いですが、「江ノ島弁才天」でページ検索してみてください。
方位線を研究される方のサイトですが、ここでは、江ノ島もかってはアラハバキ神祭祀の場所だった可能性が語られています。


もっとも、弁才天さまといえば、本来はインドの川の女神であるサラスヴァティーという「表信仰」としての存在もあります。
ぼくは、そちらの方とも過去生で縁があったかもしれません。


この記事をアップした後で、大事なことを忘れていたので書き加えます。
弁才天といえば、江島神社といえば…。
出雲族とされる宗像三女神の一柱である市杵島姫命(イチキチマヒメノミコト)は、弁才天さまと同一視されていたではないですか。
アラハバキ弁才天とした裏には、こういう事実もあったのかもしれません。

大黒天と大国主命

弁才天アラハバキ=出雲の神」と知って、ひらめいたことがありました。
それは「七福神は実は出雲の神ではないか?」ということです。
七福神のルーツについて調べるのに最適な本があります。
もともとは『七福神信仰事典』といって、16,800円もする大著だったのですが、それが縮刷版として1500円ぐらいで発売されました(『図説七福神』)。

図説 七福神―福をさずける神々の物語 (シリーズ日本の信仰)

図説 七福神―福をさずける神々の物語 (シリーズ日本の信仰)


この本を読むと、七福神のルーツが見えてきます。
その起源は諸説あって、また七福神自体もかつては固定した七柱の神ではありませんでした。
たとえば昔は「紅一点」は吉祥天女だったとか。
福神の数も七とは限らずに、三だったり五だったりしました。
当初あったのは、福神としての大黒天信仰だったようです。
大黒天というのは、仏教の天部の神さまです。
もっと遡れば、もともとはマハーカーラといって、インドではシヴァ神の一つの姿とされていました。
それを伝教大師最澄が日本に持ち帰りました。


最澄といえば、空海と一緒に唐に渡り、日本に戻ってきて天台宗を開いた僧です。
『図説七福神』に紹介されている『三輪大明神縁起』によれば、この最澄天台宗の守護神として三輪山の三輪明神を勧請したときに、ひとつの託宣があり、大黒天の形をとった三輪明神が比叡山に招かれ、大国主命の霊として、天台宗の守護神に位置付けられるようになったとのこと。
大国主命は「だいこく」とも読めることから、大黒天と混同され習合されていったことはよく知られていますが、どうも上の話あたりにそのルーツがありそうです。
比叡山延暦寺では、大きな袋を持った大国主命のような姿の大黒天立像が伝わっています。

えびすさまと事代主神

そのようなところから、だんだんと福神として大黒さまの信仰が広まっていったのです。
そのうち、こんどは恵比須(えびす、恵比寿、夷)さまとセットになって二福神として信仰されるようになっていきました。
実は、えびす神のルーツとしては大きく二つあって、ひとつはイザナギイザナミの子である蛭子命(ひるこのみこと)であるとする説。
もう一つは、大国主命の子である事代主神(ことしろぬしのかみ)という説です。


大黒天と恵比須神がセットで信仰されるようになった裏には、「出雲の神」という意識があったのではないかとも思います。
あくまでも一つの可能性としてですが。
それに加えて、前述の弁才天です。
これで、七福神の中には、三柱の「裏・出雲の神」がいるといえることになります。
出雲の神とは関係ないけれど、じつは布袋さまは昔の中国では弥勒信仰の変形として信仰されていたそうです。これらの「裏信仰」をまとめると、こうなります。


他の三柱の七福神、つまり毘沙門天福禄寿寿老人福禄寿寿老人は元々同一の神だから、実際は二柱)については、出雲とは関係ない神々のようですが、更に調べていくと、何か接点が見つかるかもしれません。

七福神を祀る意味

こうなってくると、謎の神アラハバキがますます気になってきます。
クナトノ大神とアラハバキ神については、更なる探求を続けることにします。
七福神というものが、ちょうど昔の切支丹にとっての観音さま(=聖母マリア)のように、出雲の神々の裏信仰的存在だったとすると、自分的にも納得がいくんですね。
以前に、「夢のお告げ(?)」で、七福神をお祀りするように指示があって、ダウジングをしてみると、江ノ島七福神の置物を買い求めて、一日・十五日にお供物を供えてお祀りしなさいと。
あれ以来、家の中が安定してきて、経済的にも困らなくなってきたようにも思います。
もちろん、そんな個人的な願い事は祈ってはいませんが。
やっぱり福神なのかなと思ったりして。


ぼくにとっては、七福神に祈ることは、出雲の神に祈ることでもあるんです。
「表の神々」と「裏の神々」の両方が祈る対象なんですね。
これからは、アラハバキ女神も無視できなくなるかもしれません。
富家の伝承によれば、事代主神は、「国譲り」の際に抵抗したが、海に身を投げて「抗議の死」を遂げたそうです。
そういう恨みの念が、かんたんに消えるとは思えません。
そのことは、『謎の出雲帝国』で、富家の人々がどれだけ怒りに燃えているかを読めばわかるでしょう。
だから「民族のカルマの祈り」なのでしょう。
一生続く祈りになるかもしれませんが、日本が真の平和を得るためには、どうしても必要な過程なのかもしれません。


【参考サイト】
・江戸の方位線
 http://hw001.gate01.com/sangatu/edo.htm
・客人社と荒波々幾神を祀る神社一覧
 http://kamnavi.jp/jm/arahaba.htm


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