探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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大晦日の諏訪大社巡拝記


日記に書いたのを、そのまま貼り付けておきます。
コメントでリクエストがあった『風林火山』の由布姫のこともちょっと書いています。


2006/12/31(日)
朝6:30に家を出る。
今日は諏訪大社4社を巡拝して、神札をいただく。
7:20新宿バスターミナル発の京王高速バス2号車に乗り込む。
中央道はかなりすいている。
W-ZERO3でWebにアクセスできる。
定刻どおり、10:06に中央道茅野に到着。


外はかなり寒い。雪はない。
数日前から風邪を引いてしまい、昨日は悪寒がして背骨が痛かった。
大晦日から正月3日までの諏訪・京都聖地巡礼は、よっぽど中止しようかと思った。
卵とシラスがたっぷり入ったおかゆが良かったか。

諏訪大明神の墓?

もう何度も来ている道なので、地図は不要だ。
20分弱歩いて、諏訪大社上社前宮に着く。
手水舎の水が冷たい。体の芯まで冷える。
拝殿の扉が開いている。
祈り始めたが、扉が開いているうちに写真を撮らせてもらう。
祈りが終わると、水色の袴を履いたメガネをかけた若い神官の男性が脇に立っていて、私を見ている。
掃除か何かするために待っていたのか。
東京から神札をいただきに来たことを話す。
前宮が最古の宮だとか、大祝のことだとか、説明してくれるが、みんな知っていること。
いちばん知りたいことを単刀直入に聞いてみる。


「こちらに諏訪大明神のお墓があると聞いたんですが…」
mixi諏訪大明神のコミュで、ある人が掲示板で書いていたことだった。
聞いてはいけないことだったらどうしようかと思ったが、間髪入れずに答えが返ってきた。
「あそこの石垣がそうなんです」
開いた扉の向うの左手に石垣が見える。
「大祝のお墓なんですか?」
「いえ、大祝とは違うんです。大元の神さま」
「建御名方さま…」
「そうだと言われています。実際はあの下に何があるのかは誰も知りませんが」


墓があるということは、かつて生身の身体をもってこの世で生きていたことになる。
貴重な話を聞いた。
Mixiのコミュで誰かが書いていたことは本当だった。
水眼(すいが)の水を3口飲む。
十間廊の写真を撮る。
寒いので20分ほどで失礼する。

上社本宮

歩いて25分ほどで上社本宮に着く。
神札と御守り2つを納めて、同じものをいただく。
御守りは、3歳の息子と家内のものだ。
今日は茅の輪が設置されていない。楽しみだったのに。
電話でアルピコタクシーを呼ぶ。
運転手は私より若い。
「これからどちらへ?」
「京都です。東京から来たんです」
「いいですね。私なんか正月も休みなしで」
話し好きな人だ。
「明日は大変でしょうね」
「かなり渋滞して。車ではなかなか近くへ行けません」
御柱のときは、茅野駅から歩きましたけど」
「私は御柱に一度乗ったことがあるんですよ」
「上社の?」
「いえ、岡谷の人間なので、下社の方です」
「下社の方が勾配がきつくて大変ですね」
「私の知り合いで死んだ男がいるんです。御柱につぶされて肺に水が入ってしまって。いい男だったんですが、顔がすごく歪んでしまって。もう一人は御柱とガードレールの間にはさまれて…」
「ほんとに命がけですね」


「上社の方は死者は出ないのでは?」
「いや、川を渡るときに溺死したりするんです」
駅に着いた。料金は1500円ほど。
面白い話を聞くことができた。
茅野駅に、予定よりも2時間以上早く着いた。
ちょうど11:57発の列車が来るので、あわてて切符を買う。
たった2駅目なのに、特急待ちなどで20分ぐらいかかって下諏訪駅に着く。
下諏訪駅のホームに「風林火山」の幟(のぼり)が立ち並んでいる。
「何だろう?」
25分ほど歩いて下社春宮に着く。
境内に立つ高い木々が神々しく見える。

梶紋にメノラが?

中山道を東へ歩いて秋宮へ向かう。
途中に御作田神社という小さな社がある。
諏訪大社末社の一つで、毎年6月30日には御作田祭(御田植神事)が行われる。
神社の前では、温泉が蛇口から出っぱなしになっている。
自由に汲んで使えるようになっているのだ。
下諏訪温泉は日本一だったかどうかは覚えていないが、豊富な湯量を誇る温泉なのだ。
春宮から秋宮の間は昔の温泉地の面影が残っていて、歩いていて楽しい。


諏訪大社下社秋宮に着く。
屋台設置の準備でみんな忙しそうだ。
諏訪大社4宮の中ではここがいちばん多くの屋台が出るのではないか。
境内では、ケーブルTV局がやぐらを組んでいる。
大きな神社はどこでもそうかもしれないが、年末年始は写真を撮るのに向いていない。
おみくじを引くと、15番の中吉。


宝物館に初めて入ってみる。
500円がないので1万円出すと、受付のおばさんが、おつりがないから後で渡すという。
売神祝(めがみほおり)の衣装が展示されている。
上社の大祝(おおほおり)と同じように、代々生き神さま的な存在だった。
最近読んだ、駐日イスラエル大使エリ・コーヘン氏著の『大使が書いた日本人とユダヤ人』の記述を思い出した。

大使が書いた日本人とユダヤ人

大使が書いた日本人とユダヤ人

徳島県倭大国魂神社の神紋の一部が、ユダヤのシンボルであるメノラ(七枝の燭台)とそっくりだというのだ。
考えてみると、諏訪大社の神紋である梶の葉紋にもメノラと同じ図形が含まれている。
ただし諏訪大社の紋の場合は常にそうではなく、ときには九枝だったりして固定的ではない。
なので、メノラと本当に関係あるかどうかはわからない。
梶の葉が諏訪社の神紋となったのは平安時代頃だといわれている。


外へ出ようとすると、おばさんがおつりをくれる。
「利息はつきませんけど…」
そう言って、何かのパンフレットと飴2つをくれる。
諏訪の人は明るく人懐こい人が多い。
話しているだけで、元気をもらえる。
もらったパンフを見ると「風林火山」とある。
2007年のNHK大河ドラマのようだ。
なんだか今回の諏訪では歓待されているような気がするが、気のせいだろうか。

風林火山

10分ほど歩いて、下諏訪駅に着く。
さきほどもらった風林火山のパンフを読んでみる。
甲斐の武田信玄諏訪大明神への信仰が厚かった武将だった。
信濃の豪族、諏訪頼重(よりしげ)は大祝を出した諏訪の名族で、上原城を本拠としていた。
信玄は諏訪を攻略し、頼重は命を絶たれた。
その信玄が諏訪攻略とともに得たのが、頼重の娘の由布姫だった。
本当の名前はわかっていなく、小説によって異なるが、井上靖の小説『風林火山』では由布姫としている。
由布姫は父を殺した信玄の寵愛を受け、後の当主となる勝頼を産んだ。
だが由布姫はその後病身となり、25歳の若さで亡くなった。
そういう悲劇のヒロインなのだ。
NHK大河ドラマ風林火山』は1月7日より放映開始。
2007年は諏訪の観光客が増えることだろう。


時計を見ると、まだ14:30。
17:51塩尻発の特急を予約していたが、まだ2時間以上ある。
15:52塩尻発のしなの18号に変更してもらい、15:20発の普通で塩尻駅へ。
18:07名古屋発ひかり号で40分ほどで京都に着く。
京都は3年ぶりだ。
前回は家内と共に、『聖地巡礼ファイル』の「古都に隠された十字架」で書いた旅をした。
今回はその続きといえるかもしれない。
京都駅から市営地下鉄烏丸線に乗って四条駅で降り、河原町駅まで歩いて阪急電車で西へ2つ目の西院で降りる。
10分ほど歩いて、インターネットで予約していた京都マイペンションに着く。
この辺は、平安京の頃はちょうど真中あたりだったところだ。
遠い平安時代に思いをはせる。
風邪を引いているが、今日も1日断食を通した。
コンビニで買ったおにぎりなどを食べる。
京都ではどういうことが起きるだろうか。
0時になった頃に、眠りにつく。


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