探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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古代イスラエルと日本を考える5冊


本当に時間がなくて溜息ばかり出てしまう今日この頃。
紹介しなければと思っているうちに、たまってしまった5冊をまとめて紹介する。
少なくとも私の中では、古代日本と古代イスラエルとの間に何の関係もなかったということは考えにくいほど、固まってきつつある。
ヘブル民族という古い歴史をもつ人々が、古代の日本を訪れて、宗教・文化などの面で多大な影響を与えたという可能性についてだ。

失われたイスラエル10支族

失われたイスラエル10支族

失われたイスラエル10支族


古代イスラエルの「失われた10支族」を世界中から探し出し、イスラエルに呼び戻すという活動をしている特務機関『アミシャーブ』というのがイスラエルにある。
その代表であるイスラエル人、ラビ・エリヤフ・アビハイル氏による本が、ついに邦訳された。
2,800円とちょっと値段が張るが、この分野に関心がある人には避けて通れない本だろう。
この本では、失われた10支族の末裔であると推測される民族について詳しく紹介している。
その中で、本書の3分の1を裂いて紹介しているのが、アフガニスタンパキスタンに住むパタン族だ。
他には、カシミール族(インド)、カレン族ミャンマー)、シンルン族(マナセ族)(インド=ミャンマー国境)、チャンミン族(中国・四川省)、そして日本人などだ。
日本については、残念ながら、理解が浅すぎると言わざるを得ない。
同じユダヤ人でも、マーヴィン・トケイヤー氏や故ヨセフ・アイデルバーグ氏の研究の方が、よっぽど多くの情報を得られる。
そう感じるのは、私がこの本にあまりにも多くを期待しすぎていたせいだろうか。
アビハイル氏は、日本について、こう結論する。

これらの証拠は十分に根拠のあるものであり、日本人と失われた10支族の間に何らかのつながりがあることは否定できないだろう。


だが、なぜもっと詳細の調査をしないのだろう。
うがった見方をすれば、こういう事情があるのかもしれない。
つまり、たとえ日本人(の一部)が失われた10支族の末裔だとしても、彼らはけっしてユダヤ教に改宗してイスラエルに「帰還」することは望まないだろう。だから、あまり真剣に調査しても、無駄に終わるのではないか、と。


この本を読むと、滅亡したアッシリアを離れた10支族は、ひたすらに東へ東へと移動したように思われる。
そして、その「終着点」にあるのが、日本だ。
彼ら10支族の中で、もっとも重要である支族(王族を含む人々)が日本に渡って来た可能性はないだろうか。
旧約聖書に書かれた王たちの足跡と、記紀に書かれた天皇の足跡が、なぜ共通点が多いのだろうか。
それが最大の謎ではある。

日本書紀と日本語のユダヤ起源

日本書紀と日本語のユダヤ起源 (超知ライブラリー)

日本書紀と日本語のユダヤ起源 (超知ライブラリー)

数日前に書店で見つけて買った。発行されたばかりの本だ。
1985年に交通事故で他界したイスラエル人、ヨセフ・アイデルバーグ氏の遺作がついに邦訳された。
1984年に出版された『日本民族ユダヤ人だった』は、衝撃的な内容だった。
特に、聖書と記紀の一致点を詳細に分析した部分は説得力あふれるものがある。
本書は、前作の内容をさらに深く探求したもの。
カタカナ・ひらがなは、実はヘブライアラム語の文字を元に作られたという氏の主張は、一度は否定したが、再検討しなければならないと思わせるものがある。
(拙作『聖地巡礼ファイル』#250、#251、#252参照)


ヘブル語(ヘブライ語)と日本語の類似語500語も、氏ならではの研究だ。
だが、そのうちの大半は、漢語から日本語に入ってきた言葉を比較してしまっているのが難点だ。
もし本当にそれだけ共通点があるならば、中国語とヘブル語の類似語に関する研究も必要になってくるかもしれない。
また、アイデルバーグ氏は現代日本語を比較の対象としていることも、マイナス点だろう。
だが、そのような単語を取り除いていっても、なおかつ無視できないほど多くの類似語が残るだろう。


著者はかつて、10支族に関する調査のために日本に滞在し、京都の護王神社の神職見習として働き神道や日本文化を学んだ経験をもつ。
このような研究は、そのような氏だからこそできただろうというものであり、非常に貴重なものだろう。
特に、旧約聖書古事記日本書紀との共通点。
サウル王と仲哀天皇、ダビデ王と崇神天皇の行動の記録には、なぜこれほど共通点が多いのか。
ユダヤ教の戒律と、大化の改新大祓祝詞に見られる戒律の共通点など。
アイデルバーグ氏は58歳で退職し、後半生を失われた10支族の研究にかけた。
その研究の業績の一部は、私がさらに探求を進めなければならないと思っているものだ。

日本人のルーツはユダヤ人だ

日本人のルーツはユダヤ人だ―古代日本建国の真相

日本人のルーツはユダヤ人だ―古代日本建国の真相

著者の小谷部全一郎氏は、慶応3年(1867年)12月23日に秋田県で生まれ、米国に留学して哲学博士になり、帰国後は北海道に渡ってアイヌ人教育に献身された人だ。
「チンギスカンは源義経だった」という説の提唱者だといえば、この人の名前は知らなくても、そういう説があることを知っている人は少なくないだろう。
日本人とユダヤ人がもともとは同じ民族だったという『日猶同祖論』の日本でのさきがけとなったのが、この本。
当初の書名は『日本及日本国民の起源』(上/下)というもので、それを読みやすい形に編集したのがこの本だ。


この本を読むと、ユダヤ教神道の宗教儀礼や、ヘブライ語と日本語の共通点など、現代の『日猶同祖論』の本で紹介されていることの大半は、すでにこの人が本書で書いていたことに気付く。
昭和4年に書かれた本であるが、たしかに読みやすい形になっている。
同様のことを研究しているマーヴィン・トケイヤー氏や故ヨセフ・アイデルバーグ氏の著作でも、この本を参考にしたのではないかと思われる部分が多い。
そういう意味では、非常に貴重な本だろう。
ハワード大学、エール大学で学んだ人だけあって、さすがに聖書やユダヤ人の習俗などに詳しい。
本書には、なぜか「日本の地名はほとんどアイヌ語」という1章がある。
西日本を含めた各地のアイヌ語起源の地名を数多くリストアップしていて、古代イスラエルとはあまり関係ないと思われるが、さらに探求したくなることだ。


すでに本書も絶版(または書店品切れ)になっているようだが、たとえばAmazonユーズドストアでは出品されているので、入手したい方は今のうちだろう。

大和言葉の起源

大和言葉の起源

大和言葉の起源

近所の古書店で入手したもの。
130頁ほどの薄い本だが、非常に興味深い内容を含んでいる。
著者はもともと技術畑の人だが、数年間『歴史言語学』を研究されて、その成果がこの本であるらしい。
この本の発想がすごいのは、日本古代の大和言葉と、ユーラシア大陸中の言語を比較してしまおうというところ。
この本では、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、モンゴル語ラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語サンスクリット語、中国語などの単語と大和言葉の類似する単語を集めている。
たとえば、英語のwalkの頭のwが取れて「alk→あるく」になったという主張。
ただし、日本語の「あるく」がどのくらい古くから使われていたかを検討する必要があるだろう。
ちなみに、モンゴル語でも「歩く」はalkuだ。
英語と大和言葉に類似する単語があるとしても、インド=ヨーロッパ語を広く検討してみないと、本当に英語と大和言葉の単語が共通の起源をもっているかどうかは断定できないだろう。
著者のやっていることが、まさにそれかもしれない。


興味深いのは、ロシア語と日本語の単語に類似するものが少なくない点。
たとえば、日本語の「失せる」が「usyoru(去った、行った)」、「枝」が「eda(枝)」、「笹」が「saza(笹)」、「綿」が「bata」、「尺」が「syaaku(一歩の距離=長さ単位)」など。
これらは北アジア騎馬民族がもたらしたものだろうかなどと考えてしまう。
個人的には、やはりヘブライ語大和言葉の共通点に興味の対象が集中する。
日本語の「空」がヘブル語の「khara(空にする)」、「着物」が「klimono(着物)」、「裂ける」が「sakhel(分離)」、「主」が「nash(長)」、「映える」が「haer(輝く)」、「速い」が「haya(速く)」、「滅ぶ」が「harav(滅ぶ)」、「水」が「mizla(流れる水)」などなど、たくさんある。
他にも、著者の主張するところでは、さまざまな言語がシルクロードを通って渡って来たという。
たとえば、サンスクリット語では、「今」が「im(今)」、「草」が「kusa(草)」、「島」が「zima(島)」、ラテン語では「住む」が「sum(生活する)」、チベット語では「立つ」が「tachi(立つ)」、エジプト語では「手」が「tet(手)」などなど。
日本語は言語学的にどの言語の系統にも属さない言葉だと言われるが、少なくとも単語に関しては、さまざまな言語の影響を受けて成立していったものではないかと推測される。


著者は専門の言語学者ではないため、比較内容の中には「トンデモ系」が少なからず入っていることが注意点だ。
なので、読者が単語の例ひとつひとつを慎重に吟味して判断する必要があるだろう。
この本も残念ながら絶版になっているが、Amazonユーズドストアでは在庫がある。
日本語の起源について探究する人には必読の本かもしれない。

日本神道の謎

日本神道の謎―古事記と旧約聖書が示すもの (カッパ・ブックス)

日本神道の謎―古事記と旧約聖書が示すもの (カッパ・ブックス)

鹿島昇氏はすでに故人となっているが、その博識から繰り出す壮大な歴史論は、一部の人々から「鹿島史観」とされて支持されている。
日猶同祖論的な著作も残している。
個人的には、正直いって論理がすっ飛びすぎているところが多々あって、ついていけなくなるところも多い。
だが、この本は、古事記旧約聖書の内容の共通点など、なるほどと思わせる部分がけっこうある。
日本の「蘇民将来」説話と聖書の記述などは、かなり分析的で納得できる部分が多い。


著者の主張では、日本の古代史や神話を調べるには、中国や朝鮮の史書はもとより、インドや古代オリエントまで目を向けなければならないというが、まさにその通りだと思う。
1985年に発行されて、すでに絶版だが、Amazonユーズドストアに安い価格で何冊か出品されている。
カッパブックスが出すぐらいだから、この本に関しては、「トンデモ」的な部分はそれほど多くはない。


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