探求三昧 by 百瀬直也 - 地震前兆研究家の地震予知・地震予測関連ブログ

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クリスマスを考える

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クリスチャンでもない日本人が、クリスマスと称して祝うのは、海外の人々から見ると非常に滑稽に映るかもしれない。
個人的には、その聖なる夜にドンチャン騒ぎをするのは我慢がならない。
でも、宗教的に節制がないのがひとつの日本人の美徳(?)なのかもしれないとも思ったりする。
単一の宗教思想に凝り固まったりしないという意味で。
かつてはいろんなところから渡って来た人々がいて、いろんな民族が混在してできた国だということもあるのかもしれない。
どういう信仰であろうと、世界の平和を考え祈る日があっても良いと思う。

古代日本にキリスト教も入っていた?

じつは昔の日本には、人々の知らないうちにキリスト教が入り込んでいたと思われる節がある。
たとえば、あの弥勒菩薩がある京都の広隆寺は、かつては景教の寺院だったという説がある。
聖徳太子は実は隠れクリスチャンだったとか。
高野山の僧侶がポロッと漏らしたところによると、「うちは元々は景教ですから」と言ったとか。
たとえば真言密教の灌頂の儀式は、じつはキリスト教景教)の洗礼式(バプテスマ)を取り入れたものであるらしい。


空海が学んだ当時の唐の長安では、景教の教会もあったのだから、空海景教の影響を受けたとしても不思議ではない。
古代豪族の秦氏が持ち込んだのが原始基督教だったということも、あるかもしれない。
こういう国だから、ユダヤ教キリスト教信仰がどこに入り込んでいるか、油断がならない。
日本人はみんな「隠れクリスチャン」(?)

真の平和のために

キリスト教では一応否定されているけれど、生まれ変わりというのがもしあったとしたら、ある人は前生でクリスチャンだったかもしれず、またその前はイスラム教徒であったかもしれない。
だから、宗教の違いで争ったり、自分が信仰する存在以外に排他的になったりするのは、本当はすごくおかしいことかもしれない。
宗教の違いで争ったり戦争になったりするのは、神々の世界での対立でもあるのだけど、ということは、その「神々」も「個」をもった存在であり、宇宙創造神ではないということになる。


そういう神々も含めて、この世のすべての存在が対立するのをやめて、宇宙創造神のもとで平和を樹立するようにと、祈りたい。
非クリスチャン国における「聖なる夜」の存在意義としては、こんなものか。
ちょうど12月26日はスマトラ島沖地震から1年目にあたる日なので、前日の25日にどこか海辺へ行って祈ることにしたい。


個人的には、うちもキリスト教とは無縁の家だが、たまたま幼稚園がカトリックだったので(たんに当時の家の近くにその幼稚園があったからという理由)、幼い頃からイエズスさま、マリアさまは偉い人なのだと教わってきた。
でも過去生を遡ればいつかはクリスチャンだったときがあったような気がする。
数年前、ベツレヘムの生誕教会の近くの山肌を眺めていて、デジャヴュ感覚があった。


明日は息子の「クリスマス」プレゼントを買いに行く予定。
やっぱり変な国だな。日本って。


【参考サイト】

百瀬直也の本『ヴィア・ドロローサ〜イエスが歩いた悲しみの道』です。

ヴィア・ドロローサ?イエスが歩いた悲しみの道<第1巻>

ヴィア・ドロローサ?イエスが歩いた悲しみの道<第1巻>

ヴィア・ドロローサ?イエスが歩いた悲しみの道<第2巻>

ヴィア・ドロローサ?イエスが歩いた悲しみの道<第2巻>

ヴィア・ドロローサ?イエスが歩いた悲しみの道<第3巻>

ヴィア・ドロローサ?イエスが歩いた悲しみの道<第3巻>



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