探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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"Give and Give"の精神が世界を変える


"Give and Take"という言葉があります。
「私がこれだけあげるのだから、あなたもこれぐらいのものは私にください」
インターネットの世界は、まさにこの暗黙のルールで成り立っていると言えるでしょう。
しかし、"Give and Give"の精神を貫けば、もっと高い次元の世界へ行き着くのではないか、という話です。

よこせ主義

これに対して、"Take and Take"を、あたかも人生訓であるかのように生きている人々も、世の中にはたくさんいますね。
言い換えれば「よこせ主義」です。
これは私の造語ではなく、故坂元邁が『マイナスの科学』という著書で表現していた概念です。
ちなみにこの本は、直観に走りすぎる部分が多かったのですが、非常に大きな影響を与えたものでした。
この本は自費出版として、坂元氏が手書きで書いた原稿をそのまま本にされたもので、今から入手することは、残念ながらほとんど困難でしょう。
もう30年近く前の話です。


今の世界では、この「よこせ主義」がはびこっているように思えます。
飢え死にしないだけの必要最低限の収入があるにもかかわらず、「もっと自分のところによこせ」という点では、資本主義も共産主義もそれほど変わらない。
これが、坂元邁氏の主張するところでした。
人間の物質への欲望は限りがないということを言いたかったのだと思います。
仏教などで教えている「足ることを知る」ことの重要性とは、正反対の方向へ向かうものですね。


インターネットの世界でも、このような態度の人たちが多くいるようです。
情報をネット上でタダでどんどん得ているにもかかわらず、自分はまったく他の人たちに情報を提供しようとしない人々です。
もしもこのような人々しかいなかったとすれば、インターネットの世界は成り立たないでしょうね。

神の真似をする

これに対して、"Give and Give"という理念を実践している人々も、この世界には存在します。
自分は何にも得ていないのに、人には限りなく与えることができる人々。
霊的成長の階梯において、この違いは歴然としています。
私の先生が、よく「物の原理、心の原理」という表現を使います。
これは古代の中国では「陰・陽」という形で表現されました。
この宇宙は、凝集の原理と拡散の原理のバランスによって成り立っているということです。
いわゆる「物の原理」は自己凝集の原理であって、自分をどんどん拡大させようという方向に向かうものです。
上に書いた"Take and Take"のような生き方は、まさにこの「物の原理」に支配されてしまっている状態といえるでしょう。
その反対に、"Give and Give"の精神は、「心の原理」です。


"Give and Give"として与えられることができる最高の物は、「愛」でしょう。
でも、言うは易く、行うに難しですね。
自分が聖貧の生活の結果として貧しいにもかかわらず、貧しい人々にものを与えようとする人々は、ほとんど神のような存在ですね。
実際、私の先生は「神の真似をして生きる」ことを薦めています。
神(創造主)が万物を創造されたことは、自分の一部を否定して物を作り出したということになります。
つまり、そこには「自己犠牲」があった。
そういうところを真似しなさいと、先生は言っています。
また、私が使う意味における「聖地巡礼」も、"Give and Give"の精神がないと続かないものでしょう。
たんに自己利益を求めるような態度(現世利益やご利益信仰など)では「こんなアホらしいことやってられない」となります。
お金持ちが貧しい人々にものを与えることは、たしかにまったくやらないよりは良いことだろうけれど、それほど偉い行為だとは思わないんですね。
それよりも、もっと偉い人々というのは、上に書いたように、自分が貧しいのに、身を削る思いで貧しい人々に物を与えることでしょう。


ちなみに、ブラックマジックやホワイトマジックや呪術や「願望実現の法則」などに共通して見られることは、そのようなことを行うことによって何らかの自己利益をもたらそうという行為に他なりません。
それは自己愛に基づく欲求であって、そういう欲求を「否定」しない限り、つまり創造主が万物を創造したときのように「自己否定」がない限り、真の霊的成長は得られない。
それが、古今東西の聖者たちが共通して言っていることだと思います。
さいきんのニューエイジやスピリチュアル思想に共鳴している人の中には、そのような自己否定の部分…もっとも本質的な部分を無視して、自分に都合が良いところだけ自分の考えに取り込むような人が多いように思えます。

自分と人を比べること

いままで書いただけでは、たぶん誤解を与える可能性があると思うので、ひとこと書いておくと…
「自分と人を比べるのは意味がない」
ということです。
これでは、新たな「差別」をもたらすだけに終わってしまいかねない。
「今の自分」と「過去の自分」
または
「今の自分」と「未来の自分」
を比べるのならば、意味があるでしょう。


いろいろ難しい表現を使ってしまったかもしれませんが、言いたいことは、要するに、

無私の愛(無条件の愛)を与えることができる人々は、確実に高い次元へと霊的成長ができるだろう

ということです。


マイナスの科学―宇宙意識と生存への条件 (1979年)

マイナスの科学―宇宙意識と生存への条件 (1979年)


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