探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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福島聖地巡礼記


9/17(土)〜9/18(日)の二日間、福島県いわき市小名浜、同県双葉郡の諏訪神社などを巡礼した時の記録です。
いつも長くてすみません。
一度で読みきるのは大変かもしれません。
お時間のない方は、どうぞ斜め読みでもつまみ読みでもしてください。

【目次】

 

巡礼の指示

2005/09/11(日)(旧暦8月8日)の江ノ島での平和の祈りが終わった翌日のことだった。
今週末は3連休なので、またどこか聖地巡礼へ行くように指示があるだろうと思い、ダウジングで守護霊にお伺いしてみた。
やはり巡礼すべきという指示が出た。
マップダウジングで場所を伺うと、福島県いわき市の小名浜と、福島県双葉郡の常磐線大野駅のあたりが出た。


翌日、そのあたりの神社を調べると、小名浜にも大野にも、諏訪神社があることがわかった。
やはりデタラメで場所が出ているわけではなさそうだ。
確認してみると、次の3社を1泊2日で廻るようにとの指示だった。

  • 小名浜鎮守諏訪神社:福島県いわき市小名浜諏訪町23-1
  • 諏訪神社:双葉郡大熊町野上字田屋敷155
  • 初發神社:双葉郡双葉町長塚字町56


小名浜も双葉郡も、ともに海沿いにある。
この夏以来、銚子、鹿島、茨城県日立市と、だんだん北上してきた末の福島県だ。
指示されるお祈りの目的は、必ずしも地震災害を防ぐためとは限らないが、一貫してそういう目的もあるのだろう。
また、私をご加護されている諏訪大明神が、水際で特に力を発揮できるというのも、もしかしたらあるのかもしれない。
今回の巡礼先を知ってピンと来たのは、近くに2ヶ所、原発があること。
確認してみると、祈りの目的は、地震災害を防ぐことに加えて、原子力発電所の事故を防ぐことにもあるそうだ。


前日金曜日に再度ダウジングをしてみると、1日目の小名浜諏訪神社は同じだが、2日目の行き先に変更があった。

  • 諏訪神社:双葉郡大熊町野上字田屋敷155
    JR常磐線双葉駅から3Kmぐらい?
  • 初發神社:双葉郡双葉町長塚字町56
    寛政3年に勧請。日南標葉郡の郷社で、相馬妙見宮と称していた。JR常磐線双葉駅から徒歩3分。
  • 諏訪神社:双葉郡富岡町本岡字遅沢88
    JR常磐線夜の森駅の西3Km。


福島県には諏訪神社が多く、東北では最多のようだ。
普通の地方の聖地巡礼では、諏訪神社ばかりを廻らされるということは少ないのだが、今回は特別のようだ。

福島へ

2005/09/17(土)
朝、途中の高田馬場駅で、スーパーひたち号の指定席を取る。
3連休の初日の朝だが、なんとか空席があった。
聖地巡礼先がどんどん北上していく中で、この常磐線の特急にはこれからもお世話になるだろう。
スーパーひたち号は、ほぼ満席。
9:00に上野駅を出発して、11:20頃にいわき市の泉駅で下車する。
茨城県との県境をちょっと北へ行ったところだ。
最初の目的地の小名浜は、ここから東へ4〜5キロ行ったところ。
小名浜への足は、バスしかない。
改札口を出ると、壁に小名浜行きバスの時刻表がある。
バスは1日数本しかなく、次のバスは11:30。
あと5分しかない。
コンビニで使い捨てカメラなどを買いたかったが、あわてて駅前のバス停へ。
停車していたボロいバスに乗り込む。

小名浜へ

15分ほど走った後、小名浜駅前で下車する。
さて、これから諏訪神社へは、どう行けばいいのか。
小名浜から徒歩5分というから、特に地図がなくてもなんとかなるだろうと思っていた。
小名浜駅の方へ行くと、ソープランドやスナックが立ち並ぶ路地に入ってしまった。
さきほど降りたバス停の方へ戻る。
ちょうどそこに、バス待合所があった。
受付の若い女の子に諏訪神社の場所を聞くと、知らない様子。
地元の人も知らないほど、無名の神社なのか。
彼女は奥へ行って、しばらく戻ってこない。
しばらく待つと、住宅地図帳をコピーして2ページ分をテープで貼り合わせたものを持ってきてくれた。
諏訪神社までの道のりが、マーカーで記されている。
ここまでしてくれるとは、感謝感激だ。


小名浜は、福島県の南東端に位置し、太平洋に面する港町だ。
小名浜港の漁港には毎日新鮮な魚介類が水揚げされ、黒潮がもたらす豊富な海の幸を味わうこともできる。
サケ、マス、サンマ、イカなどを始めとするさまざまな魚介類を漁獲する漁船で賑わっている。
漁業は盛んだろうが、町全体から受ける印象は、いまいち活性化されていないという感じだ。

小名浜諏訪神社

各地の諏訪神社がある土地には、諏訪町などの地名が多く見られる。
もらった住宅地図を見ると、諏訪神社の周囲に何軒か、諏訪さんの苗字が見られる。
むかし国民すべてに苗字が義務付けられたときに、誰でも好き勝手な苗字を決めることができた。
だから、諏訪神社の近くに住んでいるから「諏訪」にしようというような、安直な決め方もあっただろう。
よく勘違いする人がいるようだが、諏訪という苗字だからといって、必ずしも諏訪大社や諏訪神社の神官家につながるとは限らない。


小名浜諏訪神社は、小名浜の鎮守だそうだ。
地図の通りに歩いてみると、大通りから奥まったところにあるようだ。
地元の若い人たちが知らなくても不思議はないような場所にある。
だが、鎮守の杜が残っていることは救われているだろう。
小名浜諏訪町の小川沿いに、諏訪神社が見えてきた。
島居のところの看板には、9月4日の例大祭のポスターが貼られている。
どういうわけか、聖地巡礼する神社では、大きなお祭の直前だったり直後だったりすることが多いようだ。


思っていたほど大きな神社ではない。
だが、ポスターを作るくらいだから、お祭りはけっこう盛大にやるようだ。


小名浜諏訪神社は、建仁元年(1201年)、当地の豪族磐崎将監が信濃の諏訪大社より御分霊を小名浜岡小という山中に勧請し、建御名方命と八坂刀売命を祀ったのがはじまりという。
やがて至徳2年(1385年)、現在地に還座された。
800年もの歴史がある神社なのだ。
「無名の神社」なんて書いてしまったが、このような由緒ある神社を地元の人が知らない方がおかしいのだ。


拝殿の前でお祈りする。
自己紹介し、東京から福島へ聖地巡礼のために来たことと、祈りの目的を、諏訪大明神さまに告げる。
いつものように、宇宙全体の調和を祈り、この神社にお参りされる方々、氏子の方々、地域一帯に住まわれる方々がすべて幸せになり、霊的成長ができ、皆が成り立つ結果にお導きくださいますようお願い致しますと、祈る。
そして、地震災害を防ぐためのお祈り。
「これから日本で大きな地震が起きそうでしたら、大難を小難に替えていただき、一度大きな地震が起きるところを数回の小さな地震に振り替えていただき、死傷者が出ませんように、皆が成り立つ結果にお守りお導きくださいますようお願い致します」
お祈りするが、それほど強い力は感じない。


拝殿と奥の本殿はかなり古そうだが、いつ頃の建造なのだろうか。
拝殿の奥には、「御神水」と書かれた湧き水がある。


ポケットに入れた水晶ペンデュラムを取り出し、境内でダウジングをする。
拍手を打って、守護霊に伺う。
今日、他に行くべき聖地があるかどうかと聞くと、あるということで、地図帳を取り出す。
さきほどセブンイレブンで買ったばかりの『ライトマップル 福島県道路地図』(昭文社)で、このシリーズは聖地巡礼で必携のものだ。
これから行くべきところとして、八坂神社と津崎神社が出た。
八坂神社は、このすぐ近く。
津崎神社は、小名浜港の東に突き出た三崎という岬にある。
ここから2キロぐらい。
歩いていけない距離ではない。

八坂神社

諏訪神社を出て、徒歩3分ほどで、八坂神社の前に着く。
神社の境内は幼稚園になっている。
神社が幼稚園を経営することは、地方の神社にはよくあるパターンだ。
だが、島居の前の門が閉まっていて入れない。
昨今なにかと物騒だから、幼稚園に人が自由に出入りできないのは、わかる。
だが、自由にお参りできない神社って…。
幼稚園の施設に占領された境内には、ポツンと小さな本殿が建つ。
仕方なく、門前でお祈りする。

三崎〜津崎神社

今日の予定は、次の津崎神社でお参りした後は、今日の宿泊地の大野へ移動するだけ。
時間は十分にある。
歩いていると、思っていたよりも暑い。
東北とはいっても、福島県の最南端だ。
空は快晴で、日差しが強い。
厚手の長袖シャツでは、まだ暑い。


しばらく歩くと、長い建物の魚市場の前に来た。
通り沿いに、新鮮な魚介類を売る店が建ち並ぶ。
「どんぶり屋」という店がある。
マグロ丼など、さまざまな海産物の丼物が食べられる。
いつものように、聖地巡礼中は断食だ。
よし、帰りはここで食べよう。
急に元気が出てきた。


三崎へ向かう道で、津崎神社へ入る道がわからない。
けっきょく通り越して、三崎公園に着いてしまった。
三崎は岩でできた小高い丘になっていて、その下は海水の浸食でえぐれてできた浅い洞窟になっている。
時間を計算すると、あまり時間が残っていない。
海でのお祈りをしようと思っていたが、諦める。


引き返すと、津崎神社は、真正面の崖の中腹にあった。
長い階段を上る。
上に着くと、そこには小さな祠があるだけ。
あまりよく拝まれていなさそうだ。
三崎という突き出た岬の聖地にあるのに。
小名浜の人々が自分たちの鎮守さまなどをよく拝めば、もっと地域全体が活性化して発展するだろうに。


神社からの眺めは絶景だ。
小名浜港が見渡せる。
どういう神さまかはわからないが、昔から小名浜の地域を見守ってきたのだろう。
縄文時代からの聖なる場所だったのかもしれない。


どんぶり屋に入る。
赤みの刺身は普段あまり食べないが、こういうところに来たら食べてみたい。
ネギトロ丼を頼む。
出てきたネギトロ丼には、小ぶりのカニが半分に切ったものが入った味噌汁と、切り身の魚の煮物がついている。
これで1050円だ。
ネギトロはとろけるような柔らかさで、美味しい。
満足して、店を出る。
元気が出てきた。

小名浜から大野へ

2キロほど歩いてバス停に着くと、直後にバスが来る。
15ほどで泉駅に着き、そこから常磐線下りの各駅停車に乗り込む。
15分ほどで、いわき駅に到着。
だが、ここから乗り換えの列車は、40分待ち。
16:44発の各駅停車に乗ると、途中から海沿いを走る。
なかなか良い景色だ。
大野に着いたのが、17:30頃。
予約していたステーションホテルおおくまは、駅前にあった。
いまどきネット上での予約もできず、昨日の夜、わざわざ電話をかけた。
シングル7100円ほどと高めだが、ブロードバンド無料が気に入って泊まることに。
というか、他に選択肢がなさそうだというのもあったのだが。


ホテルに入る前に、商店街を歩いてみるが、気の利いた店はなさそうだ。
コンビニもない。
チェックインして、ブロードバンドルータを借りる。
「この辺に、路線バスは?」と聞くと、まったくないという返事。

ホテルにて

2階の部屋に入り、VAIOノートを取り出し、さっそく情報収集。
大野の周辺は路線バスがないので、諦めて予定変更し、明日はタクシーと歩き主体の巡礼になる。
大野から2つ隣の富岡駅周辺のバスを検索してみると、一応路線バスがあるにはあるが、1日数本だけ。
行き先を再検討する必要がありそうだ。
ダウジングで守護霊に事情を説明し、最終的に出たのは、次の神社だった。

  • 熊川・諏訪神社(大野駅の東4Kmほど)
  • 大熊町・初発神社(熊川諏訪神社から西へ1.5Kmほど)
  • 富岡・諏訪神社(富岡駅の西3Kmほど)


大野駅の西3Kmほどにある諏訪神社がなくなって、変わりに大野駅の東へ4Kmほど行ったところの海沿いの熊川というところの諏訪神社になった。
また、大野駅の仙台寄りの隣の双葉駅前の初発神社がなくなり、代わりに、上記の熊川諏訪神社の近くの初発神社になった。
富岡諏訪神社は変わらず。
この神社は、御祭神が建御名方神ではなく、御穂津津美神(ミホツツミノカミ)とある。
つまり、出雲の三保神社の御祭神である美穂須須美命(ミホススミノミコト)なのだ。
出雲風土記の島根県美穂郷の条によると、 大国主命が高志(越後)国の 奴奈宜波比売命(ヌナカワヒメノミコト)と結婚して生まれた子とある。
このことから、建御名方神の出雲での呼び名が美穂須須美命であるとする説がある。
また、建御名方の兄神にあたる事大主命と異名同神という説もあるが、本当のところはどうなのか。


MIXI仲間のSilent Rootsさんから携帯に電話が入る。
MIXIで満月の祈りを呼びかけていて、明日18日の11:00と17:57に祈りを合わせましょうと、かみんちゅネットワークの掲示板などに書き込んでいた。
今日は神奈川県伊勢原の大山へお参りしたそうで、明日は三浦半島から祈りを合わせるという。
私が主宰するMIXIの「ともに祈る☆」のコミュニティーでは、明日の12:00に祈りを合わせることを呼びかけていたが、できたら11:00と17:57にも祈りことにする。

熊川諏訪神社

2005/09/18(日)
8:00にホテルをチェックアウトして、駅前からタクシーに乗り込む。
熊川の諏訪神社というが、運転手もよく知らないようだ。
無線で聞いている。
「今日は何かあるんですか?」と運転手のオジサン。
「何にもないです。神社仏閣を廻るのが好きなんです」
東へ4キロほど走って、熊川海水浴場の手前にある諏訪神社に到着。
料金は1500円ぐらいと、思っていたより安く済んだ。


熊川諏訪神社は、双葉郡大熊町熊川にある。
「熊川稚児獅子舞」という伝統芸能で有名なようだ。
8月27日の祭礼に、宵祭りの26日の夜に境内で行われる。
高い杉の木に囲まれた境内には、小さな本殿のみがある。
さっきのタクシーのオジサンは「なんでこんな小さな神社にタクシーで乗りつけるんだろう?」とでも思ったかもしれない。
こんな小さな神社に来てお祈りすべき理由があるとすれば、それは、原発がすぐ近くにあるということかもしれない。


福島県双葉郡には、海沿いに2つの原子力発電所がある。
ひとつは、福島第一原子力発電所。
大野駅の東、この諏訪神社の北方3〜4キロのところの海辺にある。
もう一つは、福島第二原子力発電所。
これから行く富岡諏訪神社の東南3〜4キロのところの海辺にある。
こうしてみると、上記の諏訪神社2社へお参りする理由が、なんとなくわかってくるというものだ。


由緒書きも、御祭神の神名も書かれていない、小さな神社。
そこで、いつものとおりのお祈りの後で、地震災害と原発事故を防ぐためのお祈りをする。
この神社の印象としては、あまりよく拝まれていないようだということ。
さきほど島居をくぐるときに、クモの巣が顔にかかったことでも、それが推察される。
以前に茨城聖地巡礼に行った際に、大生神社にお参りした時のことを思い出す。
その神社にしばらくとどまっていたのだが、朝からひっきりなしに地元のオバサンたちが来ては、ポンポンと拍手を打って祈っていた。
その日はちょうど1日だった。
あるオバサンに聞くと、1日15日には、こうしてお参りするのだという。
そうやって、よく拝まれている神社もあれば、こういう神社もある。
土地の産土神さまをよく拝めば、その地域全体が活性化され、発展する。
そういうものだと思う。
さて、私に「お役目」があるとすれば、こういう神社がもっと活性化され、神社と周辺地域が発展するようにと祈ることだろうか。
そのように、祈る。

正一位稲荷神社

諏訪神社を出たところで、行く手に別の神社の島居が見える。
近づいてみると、島居には「正一位稲荷神社」とある。
その脇には、なにやら書かれた大きな看板がある。
『福島県「緑の文化財」稲荷神社老杉の最後』とある。
樹齢400年の杉の老木が、平成8年1月に野焼きの火が飛び火して焼けてしまった。
だが周囲に高圧電線や電話線があり、消火もままならず、ついに倒れてしまったという。
だが、稲荷神社を壊すこともなく、もっとも被害の少ない地点に倒れたことに人々は驚いたという。

(右上に白く見えるのが、焼け残った老木)


そんな最期を遂げた老木がかわいそうになり、稲荷神社にお参りして、杉の老木の精を慰めてやってくださいと祈る。
そして、老木の焼け残った幹の部分の前でも、精を慰める祈り。
祈りを終えた直後、根本の茂みの中からガサガサっという音がした。
見ると、トンボのつがいが前を飛んでいる。
その直後に、こんどはハチが私のまわりを一回りして、飛び去った。
そして次には、アゲハチョウが目前を飛んでいった。
もしかして、老木の精が感謝しているのだろうか。
なんだか木と心が通い合ったような気がした。

初発神社

次の目的地である初発(しょはつ)神社は、ここから1.5キロほど西へ行ったところにある。
だが、目の前はどこまでも畑が続く。
本当にこの先に、神社があるのだろうか。
この地図は本当に正しいのだろうか。
歩いていて、だんだん不安になってくる。
私一人で歩いているはずなのだが、なんとなく人の気配を感じるときがある。
そして、単なる気のせいかもしれないが、白い袴を履いた人がうしろを歩いているような気がするときもある。
「同行二人」というわけか…。
何度も地図帳を見直しては、歩き続ける。
そうするうちに、やっと初発神社前に着く。


双葉郡大熊町の初発神社は、熊川近くの浜通り(浜街道)沿いにある。
相馬藩の氏神として信仰された神社だという。
初発神社は、福島県原町市中太田にある相馬太田神社が全国に奉斎されている妙見社・初發神社の総本宮であり、妙見信仰の中心をなしているそうだ。
御祭神の天之御中主大神(アメノミナカヌシノオオカミ)は、妙見大明神とも呼ばれている。
初発という名称の由来は、恐らく古事記の冒頭の「天地の初発(はじめ)の時、高天原に成りませる神の名は天の御中主の神」から来ていると推測される。
「初発(はじめ)」を「しょはつ」と読ませているのだ。
このことから、御祭神は相馬太田神社と同様に、天之御中主大神と思われる。
なぜ初発神社なのかということが、だんだんわかってきた。
だが、こういうことは巡礼の後でネットで調べてだんだんわかってきたこと。
この時には、御祭神の神名もわからないままにお祈りしていた。
本当は、こういうことではいけない。
どんなに直前のことだったとしても、せめてお参りする神社の御祭神ぐらいは調べておくべきだったろうと反省している。


天之御中主大神といえば、文字通り、宇宙の中心におわす神。
つまり、神道でいうところの宇宙創造神だ。
この神を祀る神社は、そう多くはない。
もしあなたの家の近くに天之御中主大神を御祭神とする神社があったら、「大きなお祈り」をするときには、そこでお祈りすることをお奨めします。


ここでも、地震災害と原発事故を防ぐためのお祈りをする。
祈っていると、涼しい風が吹いてきた。
本殿の隣にある十九夜観世音菩薩のお堂でも、お祈りする。
ここでも、また涼しい風が吹く。
境内には、小さな秋葉神社の祠もある。
秋葉神社といえば、火伏せの神さまだ。
ここでも、地震と原発事故を防ぐためのお祈りをする。
すると、涼しい風がその後ずっと吹き付ける。
偶然かどうかはわからないが。

浜街道を歩く

初発神社を出る。
さて、ここからが大変だ。
浜街道を南へ4キロほど歩き続け、夜の森駅へ行かなければならない。
まわりは畑と森ばかり。
4キロといえば、ほぼ一里。
昔の人たちは、この街道をこうして1日に何里も歩きつづけただろう。
そう思うと、こんなことぐらいでメゲてはいけない。


夜の森(よのもり)駅に到着。
4キロを40分で歩いたことになる。
そのおかげで、予定より1本早い列車に乗れることになった。
ホームに来た常磐線の列車は、2両編成のワンマン電車タイプ。
ボタンを押さないとドアが開かないようになっている。
隣の富岡駅で降りる。
そこからタクシーに乗る。
富岡諏訪神社と言っても、運転手からすぐに返事がない。
「ゴルフ場の手前」というと、すぐにわかったようだ。
西へ3キロほど走り、富岡諏訪神社に着く。
料金はちょうど1000円だった。

富岡諏訪神社

島居の前で直観的に思ったことは、「よく拝まれている神社だ」ということ。
各地を聖地巡礼しているうちに、だんだんそういうことがわかるようになってきたようだ。


富岡諏訪神社は富岡町にあり、旧八村の総鎮守だ。
福島観光情報サイトによると、御祭神は建御名方大神・御穂津津美神(みほつつみのかみ)(=美穂須須美命、みほすすみのみこと)。
諏訪神社の来歴等は不詳であるが、1650年(慶安三年)の神道裁可決が残されているところから、この神社はその頃この地に鎮座したものと思われるという。
また、富岡町商工会HPによると、起源は信州の諏訪大社にさかのぼり、十四代頼信の時に現在地に奉遷されたとされる。
そして、平安時代後期の前九年の役(1083年)で、源義家が諏訪神社にて戦勝祈願を行ったという。


樹齢200年〜400年の高い杉の木立を歩き、内側にある島居をくぐる。
神気あふれる空間だ。
眼前に拝殿が見える。
「立派な神社だ…」
あまりの感動で、涙が出そうになる。
もちろん、見た目の造りが立派だというだけのことではない。
それは、言葉ではなかなか表し難いものだ。


時計を見ると、10:45。
当初の予定では、11:00のお祈りに間に合わなかったはずだった。
それが、11:00と12:00の2回、この聖なる空間で祈りを合わせることができるようになった。
神さまのお計らいかもしれない。
東向きの拝殿に向かって、まず挨拶の祈り。
いつものように、宇宙全体の調和と、地域住民の幸せも祈る。


拝殿の左側には、もう一つ社がある。
本殿の方を向いていることからして、八坂刀売命ではないかと思った。
ここでもお祈りする。
「もし八坂刀売命様でなければ、失礼致します」
祈っていると、スズメバチが飛んできて、私のまわりを一周して、飛んでいった。
あとで考えてみると、この神社では建御名方神と美穂須須美命がお祀りされている。
ということは、この左側にある社は、美穂須須美命を祀ったものかもしれない。

(美穂須須美命を祀った社か)


11:00になり、中央の拝殿で再度お祈りする。
満月に、自然への感謝の祈りを捧げましょうという、Silent Rootsさんの呼びかけに応えたものだ。
彼女が沖縄・大国みろく大社の比嘉良丸さんから、祈りの言葉を教えてもらったという。
それは、こういうものだ。
「潮が引くごとく、自分自身も含めありとあらゆる災い、穢れをおおさめください。 潮が月が満ちるごとく自然の恵み、神々の恵みをおあたえください」
そのとおりに、祈りの言葉を唱える。
祈りが深まり、深いところへ入っていけるような気がする。
今回最期の神社が、最大の聖地だった。


さて、次の12:00のお祈りまで、時間がある。
境内で、巡礼の記録のメモを書く。
こうして座っていると、なんだかおかしい。
意識の高揚が持続している。
祈りが終わった後、ボーッとしている。
その後で気がついた。
ちょうど今が、満月の時間帯なのだ。
それで納得した。
満月+有数の聖地という、相乗効果なのだろう、と。


列車の時刻の関係で、12:00の祈りが終わったら、すぐに富岡駅へ向かわなければならない。
事前に、左側の神社で挨拶のお祈りを済ませておくことにする。
祈っていると、またスズメバチが飛んできた。


12:00になる。
こんどは、私がMIXIの「ともに祈る☆」で呼びかけたお祈りだ。
地震災害と原発事故を防ぐための祈りを捧げる。
祈りを終える直前に、それまで無風だった境内に、涼しいそよ風が吹く。
目を開けた瞬間に、黒いチョウが目の前の拝殿の床にとまる。
携帯で写真を撮った瞬間に、飛び去る。


できるならば、また訪れたい神社だ。
名残惜しげに、なんどもうしろを振り返る。
島居をくぐって歩き出すと、目の前30センチのところをトンボが横切った。

帰途へ

13:10から歩き出し、3キロの道のりを30分で富岡駅に着く。
13:54発のいわき行き各駅停車に乗り込む。
鈍行列車の旅はなかなか良い。
海を眺めながら、メモを書く。
部活帰りの女子中学生が、おにぎりを食べている。
ひもじい思いで、眺める。
いわきに着いたら、何を食べようか。


この常磐線に平行している浜街道は、原発街道だ。
チェルノブイリのような事故が起きませんように。
人間のやることには誤りがある。
コンピューターの仕事をやっている人間には、特にそれを強く感じる。
こんな「お荷物」を、不完全な存在である人間たちが作り出してしまったのだ。


いわきに着いた。
昼食を食べた後で、15:00発の東京行きの高速バスに乗り込む。
今日はよく歩いた。
10キロぐらい歩いただろう。
3連休なので、明日は休みでよかった。


高速バスは満席状態だ。
17:47になり、Silent Rootsさんの呼びかけに応じた2回目の祈りをする。
11:00の時と同様に、良丸さんの祈りの言葉を唱える。

おわりに

今回の福島聖地巡礼で、祈りは神々に届いただろうか。
一人の人間の小さな祈りでも、少しでも来た意義があっただろうか。
いつも同じことを自問自答している。
だが、本当は一人ではない。
多くの人々がともに祈ってくれた。
いままでの私の聖地巡礼では、常に一人、孤独な中でひとり神に向いての祈りだった。
それはそれでよかったと思うが、多くの人々と共に祈ることによって、祈りの力はより強まることだろう。
これからの聖地巡礼で、毎回はしないだろうが、特に重要なお祈りのときには、そして今回のような満月のときには、ともに祈ることをまた呼びかけようと思っている。


ともに祈ってくださった方々、どうもありがとうございました。
そして、いつものことながら、長い文章を最期まで読んでくださって、ありがとうございました。
【終わり】


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