探求三昧 by 百瀬直也 - 地震前兆研究家の地震予知・地震予測関連ブログ

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ヴェジタリアン(1)

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私が20歳ぐらいの頃には、「ヴェジタリアン」なんていう言葉は通じなかった。
米国人にさえ通じなかった(←それは発音が悪いせいだ?^^;)
先週の九州聖地巡礼で、熊本県小国(北阿蘇)にある民宿、野風ムラに泊まったとき、奥さんが作ってくれた食事は、ほとんどが自然農法による自家栽培の野菜を中心としたものだった。
野風ムラのご夫婦はヴェジタリアンだから、もちろん肉や魚はない。
野風ムラの野菜の美味しかったこと。
素材のよさに加えて、奥さんが料理が上手だということもある。
そして、手がつけられていない大自然に囲まれた環境で食べるということもあるだろう。
「肉を食べないでいられるなんて、なんて嬉しいことだろう!」と思ったものだった。
他にも、今回九州で知り合った人の中には、ヴェジタリアンがいた。
そのような意識が高い人々と接することができるということも、嬉しかった。


その食事をいただきながら、私はみんなに言った。
人間というものは、食べるものによって性格や行動が非常に左右されているにもかかわらず、多くの人々はそのことに気付いていないんですね、と。
私はいろんなことに対して敏感体質だから、自分ではわかるつもりでいる。
経験上いえることは、肉食の過多は、暴力的性質、感情不安定、イライラ、性欲の過多などを招き、自我が強まり、ホルモンバランスが崩れ、スピリチュアルなことに関心がもてなくなる。
要するに、「精妙な感覚」が失われていくのだ。
古今東西、天才とか偉人と呼ばれる人々の多くは、そのことに気付いていた。


だが、悲しいことに、ヴェジタリアン志向は家族で私一人。
たとえ肉や野菜が出てきても、愛情をもってつくってくれた料理はありがたく食べないといけない。
もちろん、人の家に呼ばれて食事をご馳走になったときなども、肉や魚もしっかり食べる。
私がそのような柔軟な考え方をもてるようになったのは、ある話を知ってからだ。
まだ釈尊がご存命だった頃の原始仏教教団では、もちろん菜食主義という規律があった。
だが、ある条件のときだけ肉食が許されていた。
それは、どういうときかというと、托鉢に出て、人々から肉をいただいたときだったという。
人の慈悲は自分の主義主張に勝る。
そのことを気付かせてくれた話だった。
【続く(気が向いたら)】



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