探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

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人類の未来(6)


人類すべてが霊性に目覚めなければいけないとして、では、われわれのような「ボンクラ」は、どうしたら霊性に目覚める方向へ進むことができるのだろうか。

聖者の言葉に耳を傾ける

チベットダライ・ラマ法王は自著の中で、次のように書いている。

人類の偉大な師によって説かれている道徳的な教訓のすべてが行き着くところは無私である。
ダライ・ラマ

霊的修行をした、しないに関わらず、古今東西、人類にとって偉大な遺産を残していった「天才」とか「偉人」と呼ばれる人々の多くは、その人生の終盤で、神秘体験を経験している。
ここでいう「神秘体験」とは、たんなる不思議な体験とかオカルト的な出来事ではない。「自己」というものが一時的にでも消滅して、宇宙の絶対的存在と合一した状態のことだ。
ダライ・ラマがいうところの「無私」とは、自己否定によって自我が消滅した時に「私」という存在が消えてしまったかのような状態をいうのだろう。

すでに書いたように、次元が低い精神世界やニューエイジや自己愛に満ちたオカルトの多くは、「無私」とは反対の「自我肥大」へ向かわせるものになってしまっている。
そういう中で、本物の聖者たちの言葉に耳を傾けることが、われわれ凡人が人生で誤った方向へ向かわないためにも、非常に重要なことではないだろうか。
わたしは、「世界を救う3つのキーワード」として、『ポシティブな三無主義』というのを考えた。
または『3M』でもかまわない。
どこかの大企業の名称ではない。
三無主義または3Mとは、「無私、無欲、無我」のことだ。
本当の無条件の愛を与えることができる人は、「私」が無い人だろう。つまり我がない人だ。
ほんとうの無欲を貫ける人は、大欲が叶うと聖者たちは言う。
その「大欲」とは、人間としての究極のゴールである悟りへの道ではないか。
無我というのは、文字通り我がない状態をいう。
人間の本来純粋無垢であるはずの曇りがない魂に、宇宙の真理を見えなくさせているのは、「我」にほかならない。
人間の肉体に引っ付いた「肉体意識」とでも呼ぶべき心のことだ。
だが、それは本当の「自分」ではない。
本当の自分は、滅びない永遠の存在である魂の内にあるのだ。
霊的修行の最終段階で、古今東西、悟りに至った人々が、その過程で必ず通過しなければならないのが、「自分を捨てる」ということだ。
願望実現という餌で人々を釣るようなホワイトマジックや呪術の類も、自我を肥大に向かわせ、またそれが昂じると魔的存在に至らしめるものであることは、言うまでもない。
世の中の存在すべては意味が無いものはないとすれば、そういうものを「入口」として、もっと次元が高い世界もあるのだということに次第に気が付いていくならば、それはそれで、一部の人々にとっては意味があるものなのかもしれないが。

霊的修行というものは、何かを得るためにやるものではなく、逆に、捨てるために行うものであることぐらい教えないグルゥというのは、大した存在ではないだろう。
だが、低次元なことを(言い方は悪いかもしれないが)餌として人を集めて、方便として人々をもっと高みへと導いていこうとする偉大なグルゥも、世の中にはいるかもしれない。

私のWebサイト『パサール・トッケ』には、聖者や覚者と呼ばれる人々が地球人類に残した偉大な言葉を集めた『賢者のことば』というページがあるので、ぜひ読んでみてください。
このページのURLを忘れてしまっても、YahooやGoogleで「賢者の言葉」ですぐに見つかります。
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/TG/SBRJ/J/Meigen.html
【続く】
22:00 85571


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