探求三昧(はてな支部) - 地震前兆/超常現象研究家・百瀬直也が地震・災害予知・防災・予言などを探求

地震前兆・超常現象研究家の百瀬直也が地震予知・災害・防災・予言などを探求するWeb/ブログ(はてな旧サイト)




不思議現象の真偽を見極めるには


自分では霊感があると思い込んでいるが、実際はそうではない、あってもそれほどでもないという人が、世の中にはけっこう存在する。
また、当初はそれなりの霊力があったが、増上慢*1に陥ってしまい、神仏から霊力を奪われるという人も多い。
プロの霊能者や祈祷者にしても、アマチュア(?)にしても、その人が本当に霊感や超能力があるかどうかを見極めるポイントは、その人の言っていることがどれだけ現実世界に反映されるかどうか、だろう。
こうして書くと当たり前のことだが、どうもこの世界では、その「当たり前のこと」が行われて居なかったりすることが多々あるようなので。
たとえば霊能者に会って、いろいろ言われて、部分的に当たっていることがあっても、そのことが、自分がその人に伝えた内容によって類推できるものもあるだろうし、あるいは、どう考えても自分しか知らないことを当てられたりすれば、それは確かに霊能力によるものと考えた方が自然だろう。

体外離脱

夢の中で体外離脱のような体験をする場合があるが、それが現実の世界を旅していたかどうかの判断はむずかしい。体外離脱したあとで、その場所で、自分が知らなかった建物などが実際に存在することがわかった場合は、たしかに実際の離脱体験だったのだろう。
体外離脱というのは『アストラルトリップ』とも呼ばれるように、アストラル次元で実際に幽体が浮遊している体験だと思っている。
アストラル次元はこの現実世界と重なって存在するものだが、私の先生によれば、アストラル次元で見る物は、現実世界のそれとは若干形が歪んでいたりすることがあるそうだ。私自身は、夢の中で体外離脱をしたような体験は何度かあるが、というか子供の頃はしょっちゅうそういう夢を見ていたが、夢の中で見たものが現実世界で実際に存在したことがわかったという体験は、まだしていない。

過去生の霊視

霊能者によっては、人の前世*2や過去生*3を当てることができると主張する人々がいる。
だが、むかし信頼がおける誠実な霊能者がいて、その人が言うには、自分が霊視したことが必ずしも正しいとは限らず、また過去生の判断は難しいものがあるので、三人の霊能者に見てもらって三人が同じことを言っていたことだけ信じるようにしなさい、と。

以前に、自分が師と仰ぐ方に前世を見てもらったことがある。
その内容については事情があって公の場で書けないが、先生が言われた内容で、自分でも「本当かな?」と首をかしげることがあって、後になってそのことが正しかったということがわかったことがある。
「本当かな?」と疑ったぐらいで、自分でも知らなかったことだが、先生が言われていたことが正しかったのだ。

こうしたことは、いわゆる退行催眠による自分の過去生の提示についても同様なことが言えるだろう。
催眠によって語られたことが必ずしも正しいことだとは言えない場合もあると思う。
だから、自分が催眠状態で語ったことが、現実世界で対応することが本当にあるのかどうかを調べることが大切だろう。
そういう手続を経ないで、催眠の内容を鵜呑みにするというのも、どうかと思う。
私自身、自分の過去生を知るために退行催眠を受けたことがあって、たしかに自分がいくつかの過去生を語ったのだが、それが本当にあったことかどうかは、現時点ではまだわからない。

心霊写真・不思議写真

いわゆる心霊写真や不思議写真というものを判断する場合も、ある種の慎重さが必要になる。
写真というのは、ある意味では誰でも客観的に判断できるものだが、不思議な写真か通常の現象として説明可能な写真かの判断が難しい場合もある。
私が以前にインドネシアで働いていたときに、ジャワ島のプランバナン寺院(世界遺産)へ初めて訪れた。
そこに、ヒンドゥー教のシヴァ神の従神であるナンディという牛の像があった。それを写真で撮ったのだが、その像の上半分が真っ黒になって写っていないのだ。
じつは、写っていないことに気づいたのは、2回目にその地を訪れた時だった。一緒に行った当時のインドネシア人の彼女が、そのナンディ像の前にいたインドネシア人たちが噂するのを聞いた。それによると、以前にこの地を訪れてナンディ像を写真を撮ってが、写っていなかったという人が何人かいたのだ。
その話を彼女から聞いたときに「そんなバカな…」と思ったが、以前に訪れた時にナンディ像を写真に撮ったことを彼女に言うと、写っていないかもしれないから確かめなさいと彼女が強く言うものだから、家に帰って確かめてみると、「やっぱり…」ということになったわけだ。
こういう事情があるため、その写真は不思議な写真であると考えざるを得ないという結論に達した。
この話は、こちらで詳しく書いている。↓
http://www.ne.jp/asahi/pasar/tokek/TG/CG/CGNandi1.html

いわゆる心霊写真と言われるものの中には、実際は単なるゴーストイメージとかハレーションとかで説明できるものも少なくない。
だが、そういう現象として説明できるからといって、霊的な要因がないとも言えない場合もあると思うが。だから、時として判断が非常に難しい。

予知・予言

いわゆる予知とか予言という現象については、特に慎重になる必要がある。霊能者にしてみれば、すでに現実世界で起こったことを当てるよりも、これから起きようとしていることを当てる方が、はるかに難しいだろうからだ。
だから、予知したことが現実世界に本当に現れるかどうかを見極める必要がある。
そもそも、予言というのはなぜ可能なのか? それは、私の先生によると、霊界(や神々の世界)で起きたことが現実世界に反映されるから、だそうだ。
地震などの自然災害を予知するのも、もしかしたらそういう説明がつくのかもしれない。こういう予知の場合は、予言したことが現実世界で起きなくても、必ずしもダメとは限らないということがあるので、難しい。というのは、一人の霊力ある人の、あるいは多数の人々の祈りによって、その起きると言われていたことを祈りによって止められることもあり得るからだ。

私自身は、今までの人生で、夢や幻覚で見たことが後になって現実化したということが何度かある。
なので、予知能力のようなものは、多少はあるのかもしれない。
その体験については、書き出すと長くなるので(止まらなくなるので?)、後日まとめて書くことにしたい。

いわゆる霊的体験とか不思議体験というものは、ある程度主観的な現象である場合が多いのは仕方がないとしても、常にもう一人の「客観的な自分」をもつことが大切だろう。
誠実で力があって信頼できる霊能者や超能力者がいたとしても、その人が言うことが必ず正しいとは限らない。
もとより人間に「絶対」は存在しないだろう。神々の世界にも絶対はない。絶対があるのは、絶対的存在(宇宙創造主)だけだろう。
沖縄のカミンチュー(ユタ)を信奉する人々の中には、カミンチューの判示は神さまによるものだから、必ず正しいのであって、それを疑ってはならないみたいなことを言う人がいるが、それには同意できない。
何か正しいか、何か正しくないかについて、この種の研究・探求を三十数年続けてきた私でさえ、迷うことがある。だから、非常に難しい。
36150

*1:増上慢(ぞうじょうまん):自分を過信して思い上がること。

*2:前世:現在の生涯の一つ前の過去生

*3:過去生:前世よりも前の生涯


Copyright (C) 2004-2020 Naoya Momose - 百瀬直也. All Rights Reserved. Email