探求三昧 by 百瀬直也 - 地震前兆研究家が地震予知・地震予測・防災等を探求

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災害と信仰

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今夜はNHKテレビで終夜にわたって災害関係の番組を放映している。それを今もずっと流している。新潟県中越地震で集団で非難し、数日ぶりに我が家へ戻った人々が登場した。無残な姿になった我が家を見て、泣き叫ぶご婦人もいた。

何度も書いているように、二十一世紀に入ってから、異常気象や自然災害が多発している。
神は人間に対して何を怒っているのだろうか。自然をないがしろにし、自分たちの利益しか考えない、あまりにも身勝手な人間の振る舞いに対して、神は怒っているのだろうか。
自然災害というのは人ごとではない。台風、地震、火山爆発…日本では頻繁に起きるものだ。「明日は我が身」かもしれない。だから、覚悟をしていなければならない。

災害が起きたときなどのように、人生において危機的状況に陥ったときに、信仰をもつ人とそうでない人の違いが出てくる。
正しい信仰をもつ者を、神は見捨てない。そういう人が、たとえ災害で逝去したとしても、それは何らかの意味があるのだろう。
どんなに深い信仰をもつ人でも、生の終わりを経験しなければ学びが得られない場合は、避けられなくなる。
だが、それは決してすべての終わりではない、人間はまたこの世に生まれ変わってくるものだということがわかっていれば、恐れることは何もない。
たとえ災害で家を失ったとしても、一家全員が同じ信仰をもっていれば、一致団結して困難に立ち向かって行けるものを神仏は与えてくれる。

人間という存在がこの世に生を受けたとき、そこには必ずカルマというものがある。カルマのない人間など、この世には存在しない。プラスのカルマ、マイナスのカルマ。たとえ聖者と呼ばれる人物であっても。
ある土地に生まれ、ある土地に住んだならば、そこにはその土地のカルマがある。また、ある国に生まれ、ある国に住んだならば、そこにはその国のカルマ、民族のカルマがある。
そのような様々なカルマが絡み合った中で、人間は生きている。

自然災害などは、個人のカルマで起きるものではあり得ないだろう。
この世に「偶然」で起きることなど何もないと、聖者たちは口をそろえて言う。
自然災害も、偶然によって起きたものではないことになる。

このような状況のもとで、心の支えになってくれるのが信仰というものだ。
ここでいう信仰とは、ある特定の宗教団体に所属しているということを必ずしも意味しない。ある神がいて、そこにつながりのある人がいれば、そこに信仰は生まれる。
私は個人的に、ある神社を信仰している。30歳の時に出会い、生まれて初めて信仰をもつようになった。
それ以来、いままで18年間ほどの経験から言えることは、「信仰は人間を強くしてくれる」ということだ。

生まれ変わりという長いスパンで見た場合、良いことや悪いことというのは、相対的な意味しかもたない。
時間がたってみれば、「悪いこと」が「良いこと」に変わったり、また逆だったりもする。
このように、善悪などというものも絶対的なものではあり得ない。
そこまでの思考にたどり着き、受け入れることができるようになれば、人間というものは強くなる。
要するに、すべては「学習」であり、カルマだ、カルマだといっても、それは「罪と罰」ではない。
原因と結果の法則の中で、人は何かを学び、霊的に成長する。
自然災害というものも、そこからなにかを学ぶために神が与えたものに違いない。
その「何か」が何であるかは、人それぞれで違うだろう。

ところで今回の新潟県中越地震で、ボランティア活動をしている人々には頭が下がる思いだ。
さきほどもテレビで、小遣いを使って関東地方からバスでやってきた女子高生とか、仕事を休んで遠くから来ている男性などがインタビューを受けていた。
「ギヴ・アンド・テイク」という言葉がある。それは「テイク・アンド・テイク」の人々からは進化しているだろうが、人間の目指すところは「ギヴ・アンド・ギヴ」だろう。
人間が「無条件の愛」を与えることができるようになったとき、その人はめでたく地球からの「卒業」となる。
利益や結果を求めない行い。それこそが、人間を殻の中から抜け出させるキッカケになるのではないか。



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