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http://plaza.rakuten.co.jp/withdog/diary/200410200000/
ゆき0505さん、またブログのネタにさせてくださいね。
引用させてもらいながら書きます。
というわけで、ゆきさんの楽天ブログで江原啓之さんの言葉を紹介していて、それを読んで「なるほど」と思ったことがあります。
守護霊さんは誰にでも居て、チーム作ってるそうです。
役割分担があるんですね。
これは誰にでも当てはまるかどうかわらないけれど、少なくとも自分には当てはまると思う。
若い頃から、そうではないかと感じていました。
そして、その時期、その時期によって、「主体的に指導する存在」が入れ替わるのではないかと思ったりして。
それが誰かによって、その時期に音楽の才能が高まったり、ひたすら聖地へ行きたくなったりする時期があったりとか。
私はこの主護霊さんと話をしてみたいと、何度も挑戦してるんですが・・・。
ここぞと言う時以外は、メッセージくれないようです。
江原さんの主護霊さんも、細かい指示はくださらないそうです。
ここぞという時だけでもメッセージをくれるのはいいですね。
ぼくなんか、それを直接に受信するようなこと(たとえば声を聞いたりとか)はできないので。
だから、「間接的な手段」をとるわけです。
たとえばダウジング。
それから、これは受動的だけど、ラップ現象なんかも起きますね。
何か考え事をしていて、「おまえの考えていることは間違ってる(or正しい)」と教えてくれたりとか。
理由は「お前の人生だから」です。
これ読んで「ハッ」と思いました。
「そうなのか…、うん、たしかにそうだ」と。
いままでの人生を振り返ってみると、思い当たることがあるので。
たしかに、守護する存在の言われるままに動いていたら、今生に人間として生まれてきた意味があんまりないですね。
この地球は学習のための学校のようなもので、人生で与えられた「カリキュラム」をいかにこなすかが問題となってくると思うので。
ただ、やっぱり大事なときに導いてくれたり、危機一髪のところを救ってくれたりはするでしょうね。